今日から九月、例年だと今頃は、あちこちで藤崎宮秋の例大祭の馬追いに参加する人たちがラッパを吹いたり太鼓をたたいたりの練習風景が見られる。
今年は、コロナ禍で馬追いを含めた神幸行列は取りやめとなり、やけ酒をあおりたいところがそれも出来ず憤懣やるかたもないという処だろう。
私たちが幼いころは「ぼした、ぼした」と掛け声をかけ、「ぼした祭」と呼ばれていたこの御祭、これは加藤清正の朝鮮征伐に由来する「滅ぼした」からきているといわれる。
日韓・日朝関係を考えるとこれはまずい、秀吉の朝鮮侵攻に由来するこの掛け声、いつの頃からかは承知しないがこの名称が消えた。
関係者はこの説を否定されるが、明治二十六年九月二十三日、熊本に住んだ小泉八雲が友人に送った手紙などで明らかである。
『没したり、朝鮮没したり』を口々に叫びながら、興味深い馬飾りをつけた馬たちを町通りに駆けるのです。
もう一つ、小泉八雲ゆかりの島根の人、桃節山が熊本を旅した記録、「西遊日記・肥後見聞録」には、随分卑猥ないいようであったことが記されている。これはここでご紹介するのがはばかられるが、一部熊本人が粗野だといわれる所以でもあろう。
今の若者は「どうかい、どうかい」と掛け声をかけているが、「ぼした」の由来については知らぬほうが良いかもしれない。
藤崎宮の例大祭は、静かに神事のみが行われるという。
昨日は二百十日、大型台風が接近中で熊本の西海上を北上中で、危ない進路です。ただ無事を願うばかりです。