津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■藤崎宮秋の例大祭

2020-09-01 10:13:29 | 熊本

 今日から九月、例年だと今頃は、あちこちで藤崎宮秋の例大祭の馬追いに参加する人たちがラッパを吹いたり太鼓をたたいたりの練習風景が見られる。
今年は、コロナ禍で馬追いを含めた神幸行列は取りやめとなり、やけ酒をあおりたいところがそれも出来ず憤懣やるかたもないという処だろう。
私たちが幼いころは「ぼした、ぼした」と掛け声をかけ、「ぼした祭」と呼ばれていたこの御祭、これは加藤清正の朝鮮征伐に由来する「滅ぼした」からきているといわれる。
日韓・日朝関係を考えるとこれはまずい、秀吉の朝鮮侵攻に由来するこの掛け声、いつの頃からかは承知しないがこの名称が消えた。
関係者はこの説を否定されるが、明治二十六年九月二十三日、熊本に住んだ小泉八雲が友人に送った手紙などで明らかである。
  『没したり、朝鮮没したり』を口々に叫びながら、興味深い馬飾りをつけた馬たちを町通りに駆けるのです。

 もう一つ、小泉八雲ゆかりの島根の人、桃節山が熊本を旅した記録、西遊日記・肥後見聞録には、随分卑猥ないいようであったことが記されている。これはここでご紹介するのがはばかられるが、一部熊本人が粗野だといわれる所以でもあろう。
今の若者は「どうかい、どうかい」と掛け声をかけているが、「ぼした」の由来については知らぬほうが良いかもしれない。
藤崎宮の例大祭は、静かに神事のみが行われるという。

昨日は二百十日、大型台風が接近中で熊本の西海上を北上中で、危ない進路です。ただ無事を願うばかりです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(335 )寛永五年・日帳(九月十五日)

2020-09-01 06:36:41 | 細川小倉藩

         | 
         |   十五日
         |
         |  到津八幡神社
到津ノ神主神酒ヲ |一、到津之神主、御神酒其外持参申候事、
上グ       |
長崎米ノ相場   |一、長崎ゟ、飛脚罷帰申候、長崎之米ノそうは、一匁ニ四升三四合宛売申由申候、道中ハやすキ由、
作毛事ノ外良シ  |  (肥前基肄郡)
         |  田代辺ハ、七分ニ四升三合宛うり申由申候事、作毛ハ殊買いよき由申候事、
物師等出府    |一、御物師衆上弐人・下六人被成御上せ候ニ、中川四左衛門・松山小兵衛被付遣候事、同舟、北村作
         |                                     〃
         |             (是次)      (慰英)                   (ママ)
医師北村作雲   |  雲も御上せ被成候事、米田左兵衛も、仁保太兵衛かわりニ大坂へ被遣、但、別舟也、
         |  宇野五郎左衛門・釘本三太郎、御鉄炮衆廿人・御長柄衆十六人・御大工弐人・御さくわん壱人、
         |  其外御物百三十、凡十三たんほニて、上せ申候事、
         |一、朴西堂・山田将監・りくゑつ、此三人、別舟ニて被成御上せ候事、   (塗屋)
挟箱ノ下張出来ス |一、御はさミ箱拾、下はり奉行吉加一兵衛・白石勘左衛門也、はや出来申候、ぬしやニ可申付事、
         |一、井門亀右衛門ゟ、主役ノものニ銀一包上せ被申候、うけ取参候、寺嶋主水ニ渡可申候事、
請取       |                                    (黒印)
         |                             中村二郎右衛門〇
         |一、京ヘ之切手・状共一包ニ〆、是又うの五郎左衛門ニ渡候へと申候而、二郎右衛門ニ渡候事、
         |一、御客人や之路地そこね申由、作右衛門申、川田八右衛門ニ申渡事、
         |                      (是次)
金山ヨリ砂金上ル |一、春木金大夫方、御砂金七百目ほと持参申、米田左兵衛ニ渡申由、被申候事、
         |                                       (松本)(豊岡)
御印切手ヲ失ヒシ |一、伊藤金左衛門与之藤崎孫介、先年 御印を失イ申ニ付、御切米被為押置候、今度彦進・甚丞 御
         |     
後ノ処理     |  印調上ヶ、其理被申上候ヘハ、当年ゟ御切米可被遣旨ニ而、 御印出申候事、
忠利葡萄酒ヲ醸造 |一、上田太郎右衛門ニ、中津郡ニ而ぶどう酒被成御作候手伝ニ、御鉄炮衆友田二郎兵衛与中村源丞遣候、
セシム      |  御郡ニて、がらミ薪ノちんとして、五匁・銭五貫文ヲ遣候、又歩之御小性赤尾茂兵衛ハ、右之さ
がらみ薪     |  け作ならひ候へと申付遣、今度ハ江戸へ上田忠蔵被 召連候、太郎右衛門ゟ忠蔵ニ、作様をしへ
醸造法ヲ習ハシム |  遣申すへきとの 御意ニ候、忠蔵煩其外之時之ためニ、歩之御小性ニをしへと候へと、被 仰出
         |                                       〃
         |  ニ付、御供番三与ノ内ゟ、丈夫成仁を改被出候へと申ニ付、赤尾茂兵衛をさし上候、則申渡、太
         |  郎右衛門所へ遣候事、

                                                           歴史ブログ「小倉城物語」第10話
                 地域をうるおす殿様ワイン「伽羅美(ガラミ)酒」発表
                「日本のワインの醸造は、細川忠興によって始まった ! 」という間違い

物師等ノ戦中賄道 |一、門司ゟ、石井又左衛門罷戻り候ニ、中川四左衛門ゟ言伝申越候ハ、御物師のり上候賄道具、不
具不自由ナリ   |  自由御座候間、めし次・かく共、御取ニ可遣由、申越候事、
ぢをせん     |一、高見猪介奉りニ而、ぢをせんたつね可上旨候て、町をたつね、百五十め、野田喜兵衛持参候、ゆ
         |  うほニもたせ、おくへ上り申候事、
         |一、御物師衆のり被上候舟中賄道具、不自由之由、中川四左衛門申越候ニ付、料理人、上村甚介与ノ
         |                               (門司)
         |  いの助被申付、かぐ・めし次共ニ、右ノ猪ノ介をのせ、小早ニてもしまて遣、但、黒瀬九郎右衛
         |  門も、もし迄被参候事、

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする