津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■お安く読む・(日経プレミアシリーズ) 地形と日本人 私たちはどこに暮らしてきたか

2020-09-10 17:25:23 | 書籍・読書

                   

 コロナ禍で家にこもっていると非常に一日が長く感じられる。
外に出るのは朝の散歩くらいで、時に郵便局に出かけたり、コンビニに出かけたりするくらいである。
勢い読書三昧ということになるが、わが蔵書も読み飽きた感が有り、一気に読めそうで面白そうな本をと思い見つけたのがこの本。
今般の熊本県南の大水害について、11年前自らダム建設を否定して当選した熊本県知事が、今般球磨川治水の一つの考え方だとダム容認を言い出した。
長い歴史の中で、近辺住民は川の恩恵を受けて生活を続け、今回の未曽有の災害についても雨を恨んでも川に恨み言をいう人はあまり見受けられないように思う。
どう共存して環境を受け入れて生きていくのか、住民の心もダム建設へ動いていくのだろうか。
最近歴史地理学という言葉に良く出くわす。少々興味あって注文した。

出版社からのコメント

頻発する自然災害は、気候変動だけが原因ではない。
過去の日本人の地形・土地とのつき合い方に学ぼう!


私たちは、自然の地形を生かし、改変しながら暮らしてきた。近年頻発する自然災害は、単に地球温暖化や異常気象だけでは説明できない。
防災・減災の観点からも、日本人の土地とのつき合い方、地形改変の履歴に学ぶ必要がある。
歴史地理学者が、知られざるエピソードとともに紹介する、大災害時代の教養書。

著者について

金田 章裕
京都大学名誉教授。府立京都学・歴彩館館長。
専門は人文地理学、歴史地理学。1969年 京大文学部卒、74年 京大学大学院文学研究科博士課程修了。94年 京都大学文学部教授、01年 京都大学副学長、04年 京都大学理事・副学長。2001年文学研究科長兼文学部長、同年12月副学長。04年4月理事兼任。06年人文地理学会会長(10年退任)。07年京都大学退任、名誉教授、立命館大学教授。08年人間文化研究機構・機構長。14年人間文化研究機構長退任。
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■細川小倉藩(343 )寛永五年・日帳(十二月朔日~二日)

2020-09-10 06:31:21 | 細川小倉藩

       寛永五年の十月・十一月は「欠」となっています。十二月から続けます。

                      日帳(寛永五年十二月)朔日~二日
 
         | 
         |   十二月朔日  石本三介
         |                                          (大分郡)
豊後横目等へ音信 |一、豊後御横目衆へ御音信物、歩ノ御小性関や與三右衛門、宇佐迄右のさいりよう二付被参候、苻内
物運送      |  迄ハ、財津惣左衛門与ノ小津田久大夫付参候事、
         |   (元明)御鉄炮廿挺頭 丹後 四百石(於豊前小倉御侍帳)   (上林)掃除奉行
住江甚兵衛知行所 |一、住江甚兵衛知行所へ見廻二参度由被申候、留守之儀ハ甚介二申付置候由候、式ア殿へ被仰候て、
見廻願      |  可有御腰由、返事申候事、
         |一、加藤新兵衛朝参仕候て罷帰、むしせき申由候て、登城無之由候事、
         |一、御上洛之時、公事開之儀如何可有御座哉と、申上候ヘハ、前の二替事無之由、被成 御諚候事、
         |   (是門)家老・長岡是季叔父、550石
         |  米田與右衛門殿へ、右ノ 御諚通、沢村七左衛門を以、申入候事、右之御返事二奉得其意、さり
         |  なから、ふがう/\二御座候間、其通二御年寄衆へ申候間、内々其心得被成可被下由事、
物書初出仕    |一、御物書衆弐人村山安兵衛・市村四兵衛、両人今日御奉行所へ初而被出候、豊岡甚丞・財津惣兵衛
         |  召連被出候事、

         | 
         |   十二月二日  安東九兵衛
         |
         |                        香々地
三斎領ノ百姓筑前 |一、国東郡ノ内かゝ地村 三斎様御蔵納之御百性孫右衛門と申もの、母をめしつれ、筑前ゟ参候を、
ヨリ母ヲ連レ来ル |                          (松井興長)(有吉英貴)(三淵重政)
         |  原久兵衛とらへ来候、則御家老衆へめしつれ参候処ニ、式ア殿・頼母殿・右馬助殿御同道二而、
         |  御登城被成、被仰候ハ、右分二候間、人を付候ハヽ、頼母殿・右馬助殿御両人ゟ御状御そへ候て、
         |  可中津御奉行衆へ可被遣由被仰候、則御鉄炮衆弐人、頼母殿へ進候事、
         |  〃
百姓ヲ尋問ス   |一、右之孫右衛門口を、式ア殿・頼母殿・右馬助殿被成御聞候処ニ、十四年已前ニ、孫右衛門父母共小
         |  倉へ奉公ニ出、ちゝハ奉公を届、罷帰候、母ハ走候而ちくせんニ居候、承候ニ付、床敷存候而、
         |  たつね参、行相候ニ付、めしつれ参候由申候事、
         |        (国東郡)                (荏胡麻)
天守俵等ヲ廻漕中 |一、高田浦之船頭甚七舟ニ而、御天守俵、ゑここま・上米・上もち、小倉へ積廻候処、中津之沖ニ
大風ニ難船ス   |  て、大風ニ相、高田之川内へはせ戻り、舟を打わり申由申候、其様子蒲田次左衛門・小林半左衛
積日記      |  門ゟ状被指越候、つミ日記別帋ニ来候事、

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