津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■匁銭勘定の「預札」

2020-09-21 17:24:10 | 歴史

                  
 古くから御商売をなさっていたF家に残されている「匁銭勘定」の「預」である。
カラー写真8枚(預7種、藩札3種)の提供をうけたが、大変状態が良く鮮明である。
ご承引いただき、写真の一部をご紹介する。

中央に「一銭百目也」と書かれている。「銭百目」とはいったいいくらなのかということは長い間謎であった。
通常銭は「文」で表される。「目(匁)」とは銀である。
これが解明されたのが藤本隆士氏であり「近世匁銭の研究」に詳しい。(あまりのも高額な本で手元に置くことは不可能である。

96文を紐を通したものを100文として通用させる「銭100文さし」があるが、これはあくまで「銭」である。
4文は紐を通す手間賃だとされるが、紐を切らない限り100文で通用する。これをばらしてしまうと4文の損になる。

匁銭とは銀の熊本流通の相場「銀1匁=70文」から70文を以て「銭一目」と呼称し決裁や計算などに使用している。
上の写真は銀10目(匁)にあたる銭7,000文の証文である。御銀所に出向き、7,000枚の銅銭を数えるのは大変だから、「銭100文さし」同様、70文を結んだものを100束準備し決裁した訳であろう。

蓑田勝彦氏の「熊本藩の社会と文化」にある「熊本藩の通貨制度‐「銭匁勘定」と藩札」(上)(下)に詳しい。

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■細川小倉藩(353)寛永六年・日帳(一月朔日~五日)

2020-09-21 06:29:49 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年一月)朔日~五日 

         |       (ママ) 
         |     朔日 
         |
         |    (宗由)
年賀登城ノ家臣等 |一、三淵藤十郎殿■■御当番ニ而、御礼衆之分不残着到被成御付候ニ付、御物書衆八人申付、さし上
ノ着到ヲ付ク   |  候、但、御惣庄屋・町人之分ハ、御番衆ノ内衆ニ御付させ候也、

         |
         |       (ママ) 
         |     二日 
         |
         |一、山村三丞、在郷ゟ罷出候事、

         | 
         |     三日 加来次郎兵衛
         |
江戸へ廻漕ノ白黒 |一、今度江戸へ積廻候白黒之石、古庄次左衛門尉ニ奉行申付、ゑらせ申候事、
ノ石ヲ選ラシム  |
         |一、其外江戸へ之御物積渡奉行、右同人也、
         |                   (深野)
国東郡借米取立ノ |一、国東郡御借米奉行衆取立ノ目録持参、則二郎右衛門被請取候、不残上納相済候由也、但、今少懸
目録  懸銀懸米 |  銀・懸米ノ内不納在之由候也、
不納アリ     |
         |一、寺本八左衛門、大坂ゟ被罷下候事、

         | 
         |     四日 石本三介
         |
江戸廻漕ノ船ノ荷 |一、御船頭河村弥右衛門登城にて被申候ハ、今度江戸へ廻候御荷舟にしり木ハ何方ゟ請取可申由被申
尻木       |       (破)
         |  候間、不波平大夫へ被参、御請取被申候へと申渡事、
         |  (大橋村、京都郡)  (高来村、同郡)
庄屋年賀ニ登城ス |一、大橋の惣右衛門・高木村ノ新八、両人年賀之御礼ニ罷出候由申候、御本丸へ上り、引付ニ付被申
引付ニ記ス    |  候へと申事、
江戸ヨリ早打来ル |一、江戸ゟ早打ニ而、十二月十九日・同廿日両通之 御書、井門亀右衛門与横田三郎兵衛・寺本八左
         |  衛門与河上加右衛門両人ニて持下也、

         | 
         |     五日 安東九兵衛
         |
安国寺祈祷札持参 |一、安国寺祈祷札之御礼持参被仕候、従 三斎様、何も小倉ノ出家衆、来八日ニ御礼可被成御請旨、
三斎八日ニ小倉ノ |  被 仰下候間、明日何も中津へ参上仕由、被仰候事、
僧等ノ年賀ヲ受ク |
釘本半左衛門七年 |一、釘本半左衛門尉被申候ハ、七年已来知行所へ不参候間、当月中ニ参候而、見廻申度由被申候、五
已来知行所ニ行カ |  (河喜多正直)
ズ 見廻ニ行クヲ |  郎左衛門ニ被仰候て、御越可然由申候事、
願ウ       |
清水社少納言年頭 |一、清水少納言年頭之御札持参候、御本丸へ御持参候て、林隠岐ニ御渡候へと、玄徳ヲ相そへ遣わ候事、
ノ祈祷札持参   |  安国寺ノ札も右同前也、右少納言も中津へ御礼ニ明日御出候由也、
安国寺同前    |
江戸へ早打    |一、明日江戸へ早打ニ被遣御鉄炮衆山川惣右衛門与大畠久太夫・井関久米久馬助与森角丞、右両人明
         |  日江戸へ参也、
         |                                         (有吉英貴)(三淵重政)
松林院住持等中津 |一、松林院・春光院・永正寺登城ニ而被申候ハ、中津へ御礼ニ可出由にて、中津御奉行衆、頼母殿・右馬
         |    (牧興相)                                            (参ヵ)
奉行ノ参賀ノ差図 |  殿・左馬殿へ之状拝見見申候処、参わけ共、不参儀共、文躰私共合点ニ乗不申候間、御尋申度由被
ニ疑義ヲ申ス   |  申候、式ア殿へ御出候而、御談合可然由申渡候事、但、此方存候ハ、何も中津へ御越候て、御奉
         |  行衆ニ御尋候而、いか様共、中津御奉行衆次第ニ可被成由申候事、
安岐浦継舟ノ番ノ |一、服部新太郎被申候ハ、原田伝三郎・服部武右衛門、三人迄ニ而あき浦次舟ノ御番相戁申候、右ハ
交替人数     |  湯浅三太夫四人にて弐人宛廿日かわりに相詰候へ共、三太夫儀江戸御供ニ被 召連候間、かわり
         |  を一人御加候而可被下由被申候、国東郡ニ別ニ加可申衆無之候間、御年寄衆と相談仕見可申す由、
         |  申渡候、先其内ハ壱人宛可被相詰由、申渡候事、
         |      (財津)
         |一、銀子五枚惣兵衛を以、惣左衛門尉方へ相渡申候、式ア少殿御指図也、  

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