津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(344 )寛永五年・日帳(十二月三日~四日)

2020-09-11 15:45:57 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永五年十二月)三日~四日
 
         | 
         |     三日 加来二郎兵衛
         |
豊後横目連書状案 |一、此判形越申候間、自然陸路継飛脚御遣候刻、其外自分之所用相調申候とて、御領分罷通候共、手判
細川家老中宛   |  引合御改、無別儀可有御通候、以上
通行切手ノ判鑑ヲ |      辰                      (一積)
送ル       |       極月朔日         滝川 三九郎 
         |                      (正盛)
         |                    花房勘右衛門 
         |   小倉ニて
         |     細川越中守殿 長岡式ア少殿
         |          御内    有吉 頼母殿
         |            長岡 監物殿
         |
         |一、式ア殿ゟ、右之分ニ、御横目衆ゟ申来候とて、西村太兵衛ニ持せ被下候、則右分ニ写置申候、口
返事ハ継飛脚ニヨ |  上ニ、此返事ハ、わさと飛脚ニて可被遣哉、又次飛脚ニて可被遣哉と、被仰候、次飛脚ニて被
ル        |  遣可然存之由申候事
中風養生ニ石風呂 |一、山田市左衛門ゟ、子息伝次被越、中風煩いまた然々ともム御座候間、知行所へ参、石風呂なとニ
         |  も入可申かと存候通被申候間、可然候、養生ノ儀候間、如何様ニも仕、養生被仕候へと、申遣候
         |  事、
         |       (京都郡)
矢山牧山ノ仕廻  |一、宮木五之介矢山之御牧山ゟ、仕廻候由にて、罷帰候事、
         |    (是門)
米田是門以前ノ如 |一、米田與右衛門殿ゟ、使者を以被申越候ハ、一昨日ハ、前かとのことく公事を聞可申由承候、畏存
ク公事聞ヲ命ゼラ |  候、併、今ほと病中にて御座候間、はか参間敷と存候、此儀如何之由候、さやうの時ハ、前かと
ル 病気中前例ニ |  ハ御年寄衆被成御聞たるかと覚申候、今以其分たるへく候間、其方ゟ可被仰理由、返事申候事、
ヨリ年寄へ公事聞 |
ノ代リヲ願ウベシ |

         |
         |     四日 石本三介

         |
山副某中津郡寛永 |一、山副彦兵衛登城仕、被申候ハ、寛永四年分中津郡御年貢未進御座候間、私儀ハ御番被仰付居申、
四年分年貢未進ノ |     (催  促)  
催促ヲ願フ    |  其上私才そくにてハ調不申候間、御郡奉行衆ゟ取立被申候様ニ、書状遣候へと被申候、何も談合
         |  申、状遣可申と、返事申候事、
朝山斎助拝領馬ノ |一、上田忠左衛門被申候ハ、朝山斎助拝領ノ馬、まき山へ遣可申由、 御諚候へ共、いまほとハかん
寒中ノ飼方    |  中にて候間、まきへはなし候ハヽ、死可申候条、今月ゟ正月迄御馬やニおき、かい申候て、来
         |  年二月自分ゟ、まきへはなし可申由被申候、其分可然由申候事、
         |
長岡休斎忠利ノ留 |一、休斎様へ、御留守中、川口辺ニ而御鉄炮なと被遊様ニと 御意被成候、併、御舟無御所持候間、
守中川口辺ニテ鉄 |  かんこ舟か、御小早かを御かり有度由、御船頭三宅清兵衛所へ被仰遣候へ共、其 御諚も不存候
炮猟ヲ許サル   |  間、御舟を下ニ而かし申儀如何ニ御座候間、御奉行衆へ可有御尋由、返事仕由、清兵衛申来候
舟ノ貸与ヲ求ム  |  事、
松井邸ニテ惣奉行 |一、式ア少殿ゟ、御談合仕儀御座候間、御両人ともに、式ア少殿へ唯今参候へ之由にて、則参候事、
談合       |
         |一、横田権佐与吉村加介、■狼壱つ打、参候事、
         |                    (刑)
豊後横目等へノ音 |一、豊後御横目衆へ、御音信の御使者金守形右衛門被遣候、御進物さいれうニ被参候歩の御小性衆関
信        |  與三右衛門、今日罷帰候事、
松ノ丸中使番   |一、御小人ノ小頭與介をよひ、明日ゟ松ノ御丸中為御使番、御小道具衆・御小人残人中ニて、弐人宛
         |  御番候へと、申付候、御奉行所ニハ不入由申候事、
狼ノ頭ノ黒焼ヲ作 |一、今日打来候狼ノ頭を、くろやきに仕られ候へと、内藤宗印へ申渡候、手伝壱人付候様ニと被申候
ラシム      |  ニ付、御小人壱人渡候へと、與介ニ申渡候事、
犬打ニ狼ノ身ヲ陰 |一、狼ノ身ハかげほしニ仕置候へと、犬打ノ久左衛門ニ申付候、皮もよくはり置候へと、かたく申付
         |  候事、
干ニセシム    |

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■和敬塾の図面を書いてみる

2020-09-11 10:10:44 | 建築

 以前、かっての目白細川侯爵家の建物(現・和敬塾本館)の図面がヤフオクに出品されたのを見かけて落札して所持している。
                 ■昭和九年・細川侯爵邸の配置図

当時の細川侯爵家は、現在の ①和敬塾、②永青文庫、③文京区立肥後細川庭園(元・新江戸川公園)と、③の西側の道を挟んだ反対側の一画(現・目白台1丁目2及び3、4)に及ぶ広大な広さがあった。
その建物配置図を含む17枚の建築設計図であり、興味深い貴重な資料である。

 最近私は暇に任せて、「和敬塾本館」の図面の複製を作ろうと思いたち、CADを使って作業を始めた。
掛かりっきりにであれば3~4日もあれば出来そうなものだが、毎日一時間ばかりの作業でいつ出来上がるのかは保証の限りではないが・・・
製図版にT定規の時代にかかれている図面で、取り掛かってみると当時の関係者のご苦労のほどがしのばれる。
私も設計一途に半世紀ほどを生業としてきたが、T定規の時代も数年経験している。
そしてこれだけの資料が有れば、模型もつくれるな~等と余計な妄想が沸き上がってきている。
コロナ禍が終息し、巣ごもりが解消されるまでのことだが、どれだけの成果が得られるだろうか?

 こんなことをご披露すると、又悪友に「ご苦労なこったい」といわれそうだ。

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