台風後の後始末に奥方がスチーム掃除機を引っ張り出して掃除をし始めた。
ベランダの観葉植物を取り入れたりして、なんだか床がざらざらして気持ち悪いからだという。
二歳年下の奥方は、「暑い」「疲れた」を連発しながら掃除をしていたが、家具などは動かすことなく「みところ半/\」と口走っている。
「みところ半」という言葉はほとんど使わないし、久しぶりに聞いた。
中途半端・完全ではない状態を「みところ半」というが、完全ならばなんというのだろうとふと思った。
調べていたら、この言葉が熊本の方言であることを知った。てっきり標準語だとばかり思っていた。
真偽のほどは定かではないが天草由来の言葉らしい。
私の熊本弁の知識も「みところ半」ということになる。結婚して50余年、奥方は旦那よりも熊本人化していた。
日帳(寛永五年九月)廿八~廿九日
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| 廿八日
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豊後横目交替ニツ |一、苻内御横目、今迄御座候酒井五郎介様・能勢次左衛門様、来月廿日御かわり被成由、就夫、方々
キ音信物 繻子 | ゟ右之御衆ニ御音信御座候由、宇野七右衛門所ゟ申越ニ付、 殿様ゟ、御一人ニしゆす五巻宛・
桐油泥障 小倉縞 | 桐油あをり十かけ・小倉しま十たん箱ニ入、被進之候、但、御使ニハ、宇野七郎右衛門可参旨、田
| 川ゟ被 仰下候、七右衛門所迄ハ、歩之御小性後藤権右衛門奉行ニ而、次夫を以、今日差遣候
| 事、
豊後横目ノ新任者 |一、又今度かわりの御横目衆ハ、花房勘右衛門様・竹川三九郎様と申人之由、七右衛門ゟ申来候
| 事、
秀忠大御所期の豊後府内目付について
江戸ヨリ早飛脚 |一、江戸ゟ御鉄炮衆弐人、早飛脚ニ罷下候、一人ハ牧丞太夫与榎本久右衛門・井関久馬助与森角丞
| 也、江戸を九月十七日ニ罷立候、大坂ニ廿三日ニ着、同日晩ニ出船仕由ニて、今日下着申候事、
|一、飯田才兵衛ニ当り候しふかミつゝミ壱つ、又我等共ニ当り候しふかミつゝミ壱つ、右飛脚持参申
| 候ニ付、やぶり見申候処ニ、岡田左門・岩崎半左衛門ゟ之状壱つ、又才兵衛ニ当り候状壱つ在之
| ニ付、則江戸ゟ参候御飛脚両人ニ持せ、才兵衛所へ遣、我等共への状ハ無之候、其方へあたり申
| 状壱つ在之ニ付、持せ進之候由、申遣也、
| (村上隆重) (中津郡)
村上隆重葬儀 |一、椋梨半兵衛被申候ハ、八郎左衛門吊、今井にて仕候、二三日之御暇被下候ハヽ、参度存候、それ
| (村上景則)
村上景則母危篤 | ゟ、河内殿御母儀煩きわまり申由、申来候間、今井ゟ直ニ中津へ参度由被申候、さ候ハヽ、可被
| 参由、申渡候事、
|一、江戸ゟ言上之状とも、 殿様被成御座所へ持せ遣候事、
| (坂崎)
坂崎一角邸作事奉 |一、小林久介被申候ハ、一角家作事御奉行被仰付、此中算用仕、相済申候、しかれハ、母相煩申由申
行ノ算用了ル | 来候間、知行所へ参度由被申候間、被参候へと、申渡候事、
|一、本庄平八夜前病死仕由、御たゝミや平三郎登城にて、申事被申候ニ付而、知行所へ御代官衆被申
| 〃〃
| 付候へと、加藤新兵衛・金子喜左衛門ニ、切帋遣候事、
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| 廿九日
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初茸ヲ干サシム |一、うさ郡尾永井ゟ、はつたけ弐百廿本、次飛脚にて差越候を、足立與兵衛二渡、ほし候て置候へ
| と、申渡候事、
引物ノ皿鉢出来 |一、下毛ゟの引物師ニ被 仰付候さら幷はち出来仕由ニ而、次飛脚にて持せ差越候、飯田才兵衛所へ
| 〃
| 御使番をそへ遣候事、
皿ニ悪シキ所アリ |一、右ノさら悪敷所有之ニ付而、下毛へ飛脚遣候、歳兵衛方ゟも状遣被申候事、
江戸大廻ノ船出帆 |一、江戸大廻り之御船頭南次兵衛・古野二郎介、今日出船仕候事、
ス |
| (主脱) (玄ヵ)
掃除坊主下着ス |一、岡嶋二兵衛・御掃除坊道珎・喜斎・現知、今日下着候事、
| (成定) (同勝定)
坂崎道雲甥等ノ初 |一、坂崎道雲登城二而、被申候ハ、半兵衛むすこ■伝吉十三、三吉十三、又西沢文右衛門むすこかめ
見ヲ願フ | 松歳十二、此分御目見え仕せ度由、被申候事、
上林味卜宇治丸鮨 |一、上林味卜ゟ進上ノうぢ丸壱桶、御台所へ渡置候、御帰城の時上ヶ可申旨、申遣事、
ヲ進上ス |
鉄炮ノ雁ヲ田川へ |一、曽根ノ源兵衛鴈二打候て、上候を、田川へ持せ、差上候事、
進上ス |