津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(338 )寛永五年・日帳(九月廿三日)

2020-09-05 06:20:19 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永五年九月)廿三日

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         |   廿三日
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忠利田川出行ニツ |一、今度田川へ被成御座ニ付、為御薪奉行、友田二郎兵衛与石井甚右衛門・西沢文右衛門与林與兵衛、
キ薪奉行ヲ任ズ  |  両人申付遣候事、
         |一、同湯浅五郎兵衛も御供ニ付、御鉄炮衆井門亀右衛門与都甲茂兵衛付遣候事、
天守ノ鉄炮磨キノ |一、御天守ニ在之御鉄炮衆ミかき申御用ニ、■たうぐ無之候間、中国かミを八拾束被調下候様ニと、
用ニ中国帋ヲ求ム |    (場)                                                (幕)
古キ船ノ幕ヲ使ハ |  安羽二左衛門・林隠岐被申候、此方ゟ申候ハ、伊佐源七・原田安右衛門手前ニ、ふるき御舟まく
シム       |  いかほとも在之間、是を被請取可然由、申候事、
         |  (飾屋)            (灘)
灘小早ノ金物奉行 |一、かさりや加右衛門、御なた小■早ノかな物仕奉行、壱人付可申由被申候事、
田川ヘノ人足奉行 |一、田川へ被成御座ニ付、為人足奉行、桑原主殿与柳瀬清右衛門・阿部作大夫、両人申付遣候事、
         |一、田川へ被成御座ニ付、岡部道有ニ御付被成候千手新左衛門与窪田作助、ねんころニ申渡事、
田川へ馬十四   |一、田川へ被成御座ニ付、御馬数拾四参候由、上田忠左衛門被申候事、
三斎ヘノ音信物ニ |一、三斎様へ被進御音信物、道中さいりやう山河惣右衛門与小川半丞・佐分利作左衛門与秋本喜右衛
道中宰領ノ任命  |  門、両人付被参候事、
         |一、木下右衛門様へ被遣候御飛脚、御返書を取、罷帰候、其次而ニ、中津へ一色木工・槙島云庵へも
         |  被成 御書候、是も返事持来候事、
大森土佐へ硯ヲ誂 |一、国遠道倫奉ニ而、下ノ関へ御硯切
せニ被遣御奉行ニ、歩之御小性浅見八兵衛被遣事、
ウ        |
鉄炮足軽出府   |一、去ル十五日ニ、弐拾人江戸へ被遣御鉄炮衆ノ内ニ、牧丞太夫与ゟ、遠藤■■衛門五郎左衛門と申
         |                                  〃〃〃〃
中津油屋貸付銀ノ |  者も罷上ル筈にて候処ニ、中津御油屋徳右衛門借付銀之儀ニ付、さいそくニ付置申候時、此方ゟ
催促       |  申付候ハ、五郎左衛門儀ハ、中津様ゟ之御用ニ付置申候間、此度ハ差延、御供仕罷上筈ニ申付候
         |                                  (浅山修理)(田中氏次)
         |  へと申渡候処ニ、今迄ハ三十人与一与ニ、御切米取六人つゝ有之候へ共、修り・兵こ奉ニ而、新
新参ノ鉄炮足軽二 |  参ノ御鉄炮衆弐百人被 召抱候、此二百人之内ゟも、江戸御供ニ差上せ申ニ付、一与ニ六人宛ノ
         |                   (牧武次)
百人   切米取 |  御切米取、当暮ゟハ五人ニ成申筈候、■丞太夫与ゟ、七田少太夫と申もの御給知取ニ成申筈ニ候
給知取      |  処、右五郎左衛門迷惑之由申通、承届候ニ付、せんさく仕候ヘハ、五郎左衛門不罷上候ヘハ、喜
         |                                         ゑこ仕、
依怙ハ沙汰ノ限  |  多山左兵衛と申もの罷上筈候処、右丞太夫与ノ小頭北山清兵衛と申ものゝ弟ニ而候付、〇上せ不
         |  申、少太夫を差上せ、少太夫跡ノ給知取ニ、五郎左衛門を可仕といたし候事、さたのかきりにて
         |                           ( 裁 許 )
与頭ノ裁判    |  候、とかく右ノ内ゟ、御給知取ニ仕ものゝ儀は、此方ゟさいきやう不罷成候間、与頭ノさいはん
         |  可仕通、申残小頭之野村孫兵衛・野田角右衛門・篠山勘右衛門、此三人ニ申渡候事、
稲葉一通ヨリ伊勢 |一、稲葉民ア様ゟ御飛脚参候、いせゑひ弐籠持参由ニて、御文箱吉田少右衛門被持上候、御小性衆
海老到来     |  を以、上被申通、申渡候事、
二官ノ耳掻道具ノ |一、二官みゝかき道具ノ奉行ニ申付候ハ、歩之御小性岡文右衛門也、
奉行       |

コメント
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