日帳(寛永六年二月)六日~九日
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| 六日 加来二郎兵衛
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新牢ノ石垣ノ虎落 |一、新籠之御番山村弥左衛門被申登城ニ而申候ハ、石垣之方ノもがり竹ノかき、不残ころき申候間、
竹ノ垣ノ修繕 | 〃〃
| 被仰付候儀ニと申候、則河田八右衛門かたへ申遣候事、
| 乗せ
|一、御役者衆〇上り候御船頭ハ河野五太夫也、
| くろ
玄鶴打 |一、曽根源兵衛うすすミの靏壱つ打申候ヲ、平井五郎兵衛者持参申候事、
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|一、中山金右衛門・吉竹兵右衛門・藤寺二郎右衛門、出船仕由ニて、登城被申候事、
玄鶴打 |一、田辺作右衛門靏壱つ打申候事、是も黒是もくろ靏也、
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| 七日 石本三介
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|一、御役者衆中山金右衛門吉竹兵右衛門
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鶴打 |一、小崎與次兵衛靏壱つ打、持参被申候事、
鶴打 |一、有馬七左衛門靏壱つ打申候事、
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鯨ノ内ノモノ忠利 |一、中津貴田権内・高橋兵左衛門ゟ次飛脚ニて、今月四日ニ状遣申、返事被申越候ハ、くしらノ内の
へ進上ノ二十尋以 | 物弐十尋所 殿様へくしらつきゟ進上仕候分ハ、此地ニ召置可申候、其外ノ内ノ物を不残可被召上
外全テ中津へ召上 | 由、被申越候事、
グ |
悪日ニツキ出帆セ |一、御役者衆のり上り申御船頭河野五太夫登城にて申候ハ、役者衆ものりくミ申候へ共、今日ハ月の
ズ | 七日ニハきらい申候間、出船申儀ハ如何と申候、御飛脚いそきニて候へ共、舟之儀ハ兵助次第可
| 仕由、申候事、
鶴打 |一、有間七左衛門尉追而靏壱つ打、差上候事、
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| 八日 安東九兵衛
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牢廻リノ修繕ノタ |一、籠廻ノ塀ノひかへ柱幷もがりかき、ゆいなをさせ候ため、上野分左衛門・和斎弥左衛門さし遣候
メノ口屋通行切手 | 間、口屋無叓儀可被通候、以上
案 |
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| 九日 加来二郎兵衛
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鶴打 |一、千手新左衛門靏壱つ打、上ヶ被申候事、
富野口門番交替 |一、富野口御門番中西善介登城仕申候ハ、八木田平右衛門ニ相渡候由申候、平右衛門同道にて罷上候
| 事、
鶴打 |一、有馬七左衛門尉靏壱つ打、上申候事、
手負鶴ヲ手捕ヘニ |一、手おい靏壱つ、御材木小やのよし原へおり申候ヲ、橋本惣右衛門・河田八右衛門手伝衆出合、手
ス | とらへニ仕事、