津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「新・肥後細川藩侍帳」整備作業開始

2020-09-30 20:24:57 | 徒然

「新・肥後細川藩侍帳」の整備を始めた。
本日の取り掛かりは、先日ヤフオクに出品された「豊後大友系・松野氏」の情報である。
各代の当主の名前に加え、童名や初名、名前の変遷などがわかるし、没年や戒名、また夫人の情報などが網羅されている。
生母が正室か側室かなども書かれているし、又養子の場合はその実家の状況も見て取れる。
これを一つ一つ確認して修正を加えた。すべての代を確認できる状態ではなくこれが残念。

二つ目はこの松野家ともかかわりのある氏家家、こちらは古本屋さんから手に入れた氏家家当代・弘隆氏の著「氏家家永代記録」からである。
こちらは明治までの13代の内、5代が養子である。又数代にわたり当主が20代~30歳で隠居している。
これらの情報も、「侍帳」に反映させた。

併せて先祖附で確認をしてこの二家が終了と相成る。

                                                 

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■お安く読む・中公新書 北朝の天皇―「室町幕府に翻弄された皇統」の実像 

2020-09-30 16:24:26 | 書籍・読書

                 中公新書<br> 北朝の天皇―「室町幕府に翻弄された皇統」の実像

内容説明

建武三年(一三三六)、京都を制圧した足利尊氏は新天皇を擁して幕府を開いた。後醍醐天皇は吉野に逃れ、二帝が並び立つ時代が始まる。北朝の天皇や院は幕府の傀儡だったと思われがちだが、歴代将軍は概して手厚く遇した。三代義満による南北朝の合一以降、皇統は北朝系が占めた。一見無力な北朝は、いかに将軍の庇護を受け、生き残りに成功したか。両者の交わりをエピソード豊かに描き、室町時代の政治力学を解き明かす。

目次

序章 戦国時代の天皇即位儀と将軍
第1章 分裂する皇統―鎌倉時代
第2章 天皇家と足利将軍家の邂逅―南北朝時代前後
第3章 後光厳院流と崇光院流―室町時代前期
第4章 天皇家を支える将軍たち―室町時代中期
第5章 儀礼的昵懇関係とその裏側―室町時代後期
第6章 生き残る天皇家―戦国時代
終章 中世の終焉

著者等紹介

石原比伊呂[イシハラヒイロ]
1976年(昭和51年)、三重県に生まれる。東京都立大学人文学部卒業。青山学院大学大学院博士課程修了。博士(歴史学・青山学院大学)。現在、聖心女子大学現代教養学部准教授。専門は日本中世史(中世後期公武関係論)

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■細川小倉藩(362)寛永六年・日帳(二月六日~九日)

2020-09-30 06:33:32 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年二月)六日~九日                 

         |       
         |     六日  加来二郎兵衛
         |

新牢ノ石垣ノ虎落 |一、新籠之御番山村弥左衛門被申登城ニ而申候ハ、石垣之方ノもがり竹ノかき、不残ころき申候間、
竹ノ垣ノ修繕   |             〃〃
         |  被仰付候儀ニと申候、則河田八右衛門かたへ申遣候事、
         |      乗せ
         |一、御役者衆〇上り候御船頭ハ河野五太夫也、
         |       くろ
玄鶴打      |一、曽根源兵衛うすすミの靏壱つ打申候ヲ、平井五郎兵衛者持参申候事、
         |       〃〃〃〃〃
         |一、中山金右衛門・吉竹兵右衛門・藤寺二郎右衛門、出船仕由ニて、登城被申候事、
玄鶴打      |一、田辺作右衛門靏壱つ打申候事、是も黒是もくろ靏也、
         |                〃〃〃

         |       
         |     七日  石本三介
         |

         |一、御役者衆中山金右衛門吉竹兵右衛門
         |  〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
鶴打       |一、小崎與次兵衛靏壱つ打、持参被申候事、
鶴打       |一、有馬七左衛門靏壱つ打申候事、
         |
鯨ノ内ノモノ忠利 |一、中津貴田権内・高橋兵左衛門ゟ次飛脚ニて、今月四日ニ状遣申、返事被申越候ハ、くしらノ内の
へ進上ノ二十尋以 |  物弐十尋所 殿様へくしらつきゟ進上仕候分ハ、此地ニ召置可申候、其外ノ内ノ物を不残可被召上
外全テ中津へ召上 |  由、被申越候事、
グ        |
悪日ニツキ出帆セ |一、御役者衆のり上り申御船頭河野五太夫登城にて申候ハ、役者衆ものりくミ申候へ共、今日ハ月の
ズ        |  七日ニハきらい申候間、出船申儀ハ如何と申候、御飛脚いそきニて候へ共、舟之儀ハ兵助次第可
         |  仕由、申候事、
鶴打       |一、有間七左衛門尉追而靏壱つ打、差上候事、

         |       
         |     八日  安東九兵衛
         |

牢廻リノ修繕ノタ |一、籠廻ノ塀ノひかへ柱幷もがりかき、ゆいなをさせ候ため、上野分左衛門・和斎弥左衛門さし遣候
メノ口屋通行切手 |  間、口屋無叓儀可被通候、以上
案        |

         |       
         |     九日  加来二郎兵衛
         |

鶴打       |一、千手新左衛門靏壱つ打、上ヶ被申候事、
富野口門番交替  |一、富野口御門番中西善介登城仕申候ハ、八木田平右衛門ニ相渡候由申候、平右衛門同道にて罷上候
         |  事、
鶴打       |一、有馬七左衛門尉靏壱つ打、上申候事、
手負鶴ヲ手捕ヘニ |一、手おい靏壱つ、御材木小やのよし原へおり申候ヲ、橋本惣右衛門・河田八右衛門手伝衆出合、手
ス        |  とらへニ仕事、

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