津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■祝「正代関」

2020-09-27 17:30:50 | 熊本

 熊本人としてただうれしいばかりです。
審判部が臨時理事会の招集を要請したといいますから、大関昇進も間違いないでしょう。
熊本では優勝は初めて、大関昇進は名大関・栃光以来ですから長かったですね~、本当におめでとうございます。

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             正代直也の画像     祖母の名は正代正代 初場所で賜杯逃した孫を語った:朝日新聞デジタル 正代正代さん(91歳)

余計ごとですが・・・・
   正代関と石川さゆりさんは親戚であることは知られていたところです。
   正代関の祖母・正代さんが石川さゆりさんの伯母さんのご主人の妹さんにあたるようです。

               まさよ
                                    +ーーー正代さんーーー〇ーーー正代関
            |
            +ーーー〇
                ‖
            +ーーー●
            |
            +ーーー●ーーー石川さゆり

 

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■「侍帳」の本当の数

2020-09-27 13:37:33 | 徒然

 もうずいぶん前のことだが、悪友が「お前の侍帳には何軒が取り上げられているのか」と聞いてきた。
「判らん」と返事したところだが、正直数えたことがない。
川口恭子先生の「細川家家臣略歴」が底本だが、これは永青文庫に残る「先祖附」のリストといってよい。
これに私が独自にいろんな資料から、絶家したお宅などを付け加えている。
わが「新・肥後細川藩侍帳」を見直そうと考え、「細川家家臣略歴」の数だけでも抑えておこうと思い調べてみた。
(以下の南東とあるのは細川家に所蔵されていた折の棚番号である。現在でもこの棚番号によって管理されている)

      南東一・14家 南東ニ・23家 南東三・22家 南東四・21家   
      南東五・69家 南東六・19家 南東七・26家         
      南東八・17家                        
      南東九・29家                       
      南東十・28家
    ち・り・ぬ・わ  南東十一・31家
      (棚番号南東十二 欠)
      南東十三・19家 南東十四・25家 南東十五・23家            別に南東五五もあり 
      南東十六・26家 南東十七・27家 南東十八・25家 南東十九・19家
      南東二十・23家 南東二十一・21家
      南東二十二・30家 南東二十三・18家
    そ・も・せ  南東二十四・26家
      南東二十五・26家
      南東二十六・25家 南東二十七・6家 南東二十八・27家 南東二十九・29家
      南東三〇・26家 南東三一・23家               
      南東三二・23家
      南東三三・29家
      南東三四・38家 南東三五・20家
      南東三六・23家 南東三七・28家 南東三八・20家
      南東三九・32家
      南東四〇・34家
    む  南東四一・27家                            誤記で梅田氏・梅原氏を含む
    江・て  南東四二・25家
      南東四三・28家 南東四四・26家
      南東四五・32家 南東四六・21家 南東四七・24家
    き・ゆ・め  南東四八・35家
      南東四九・22家 南東五〇・20家
      南東五一・29家 南東五二・19家
      南東五三・36家                            誤記で本間氏を含む
      南東五四・31家 
      南東五五・23家
                              小計1,149家

      南東五六・27家 南東五七・36家        小計  63家
      南東五八・62家                小計  62家
    茶・鷹・馬  南東五九・24家            小計  24家
    一代御中小姓  南東六〇・29家 南東六一・30家   小計  59家
    十代相族寸志  南東六二・15家           小計  15家
                              合計1,372家

    病死並御暇等之面々 (一)南東六三・132家 (二)南東六四・134家 (三)南東六四・118家
                              合計   384家
                              総計1,756家

                                                                                                            

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■細川小倉藩(359)寛永六年・日帳(一月十廿一日~廿三日)

2020-09-27 10:42:02 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年一月)廿一日~廿三日                 

         |       
         |     廿一日  加来次郎兵衛
         |

細川七左衛門家屋 |一、細川七左衛門尉殿ゟ被仰聞候ハ、年内ゟ申入候我等家作事之儀、急度被仰付候而可被下候、屋ね
ノ修繕ヲ催促ス  |  損シ申候而、居可申所も無御座、長屋之わきニかこひ仕候而、ふせりおきを仕候様ニ御座候間、   
         |
         |  何も被仰にて御座候ハヽ、早々被仰付候而被下候様ニとの儀にて候、返事ニ、被仰越候通相心得
         |  申候、左様ニ可有御座と存候、押付作事可申付候間、其心得あるへく候由、申渡候事、

         |       
         |     廿二日  加来次郎兵衛
         |

         |                  (松井興長)(有吉英貴)(米田是季)(浅山)(田中氏次)
忠利ノ書状下ル  |一、江戸ゟ長岡監物殿者罷下候ニ、 御書式ア少・頼母佐・監物・修理・兵庫ニ当被成下候ニ、御役
能役者帰着    |  者衆ハ二月之末ニ可下候、又規矩郡ニて靏を打せ可申候、又竹田了由江、江戸ゟ 御一左右次第
鴨打       |  江戸へ可下旨、被仰下候事、
         |一、井田小兵衛のり被上御小早御船頭徳嶋八兵衛登城仕候事、
         |一、御鉄炮衆友田次郎兵衛与山崎角左衛門尉、京吉田ゟ、牛嶋市郎左衛門尉ゟ、使ニ下シ被申候事、
元代官今ハ無用ノ |一、山添源兵衛庄村五郎右登城にて被申候は、私御代官仕候時、下代ニ召抱置申候者、本国丹後ノ者
下代丹後ノ者ノ任 |       〃〃〃〃〃
         |                        
用ヲ願ウ     |  にて候、今程入不申候間、本国へ罷帰度由申候、召置、似合ニ被召置間敷候やと被申候、丈夫成
         |  ものにて候由、庄村五郎右衛門尉同道にて罷上被申候、如何様追而談合可申候間、可有其御心得
         |  由、申渡候事、
切米取ノ加子暇ヲ |一、中子次右衛門尉申候ハ、御切米五石取之御加子高四十七人ノ内六人、当二月二日ニ御暇被下候へ
乞ウ       |        (白井)(鏡)
         |  と申候、此段兵介・善右衛門ニ申候ヘハ、かわりを出シ、ひまを取候へと被申候、替ハ次第/\
替リノ加子ナシ  |  ニ御座候ハヽ抱可申候、たゝ今ハ無之由申候ヘハ、さ候ハヽ、御奉行中へ申上げ候へと被申ニ付、
         |  如此二御座候由申候、かわり無之候ハヽ、無是非候、すいふんかわりを置候へと、申付遣わ候事、
         |一、井田小兵衛のせ上り候御船頭ハ徳嶋八兵衛也、大坂ヘ之状ハ八兵衛ニ渡上ス、江戸へ之状ハ小兵
         |  衛ニ相渡、上せ候事、  

         |       
         |     廿三日  加来次郎兵衛
         |

公儀ヘノ石舟ノ運 |一、高原茂兵衛よびよせ候而申渡候は、今度公儀ゟ当り申候御石舟運賃、弥々公儀ゟ被下候筈にて
賃下サル筈    |  候、少も役儀ニ御当被成儀にて無之由、御触ニ候との 御書被成下候間、弥々念を入候而、浦々
役儀ニハ当テズ  |  今一度も御廻候而、浦舟吟味被申可然候由、申渡候、跡ニ残り而舟之内ニ、若石をも積可申様な
若シ石舟残シアレ |  る舟とも候ヘハ、以来達 上聞不可然儀共候間、能々念を被入可然候由、申渡候、式ア殿へも被
バ上聞ニ達シ然ル |  参候而、 御書之様子被承候へと、申渡候事、
べカラズ     |
         |    (矢野吉重)
絵師矢野吉重ニ江 |一、御絵かき三郎兵衛、明後日江戸へ之出舟可仕旨申渡候、かゝみ善右衛門方へも、三郎兵衛のり上
戸へ出帆ノ命   |  候小早、明後日出船仕候様ニ被申付候へと、人遣候事、
         |一、竹内七郎右衛門方へ、御用次第ニ上せ可申候間、内々被得其意、用意仕、待候へと、きりかミ遣
         |  候事、
富野口門番所ノ作 |一、富野口御門番、八木田平右衛門ニ被 仰付候処ニ、御番所損申由候而ニ付、作事候て可被相渡由、
事ヲ命ズ     |  河田八右衛門・矢野勘右衛門所へ切帋を遣候事、       〃〃
能役者中津ヨリ帰 |一、吉竹兵右衛門中津ゟ罷帰候、一昨廿一日ニ 三斎様御能被遊候而、御暇被下ニ付、罷帰候由申候事、
着ス  笛ノ稽古 |  山崎加平次ハ笛けいこ仕由にて、不罷帰由被申候事、

 

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■原点に戻ろうという想い

2020-09-27 09:14:18 | 徒然

 最近体力が落ちたことを痛感している。散歩をしていると体がふらつくし、フルコース(3.8キロ)が苦になってきた。
42年生まれだから来年誕生日を迎えると79歳だ。
2003年8月、ひょんなことから立ち上げた「肥後細川藩拾遺」は17年になった。ブログも16年である。
熊本史談会をお預かりしてから 8年ほどになる。それぞれに楽しい思い出がいっぱいであり、いろんな方々からご厚誼をいただき、私の財産となっている。
そろそろ、このサイトを立ち上げたときの思いは何だったのかを振り返って、原点に返らなければという想いがすごく強くなってきた。
それは、もう一つの財産「新・肥後細川藩侍帳」の充実である。現況これが大変中途半端で、気になって/\仕方がない。
約1,000家の夫々のお宅の「先祖附」を詳しくよんで、「侍帳」に反映させたいと思いながら、無為な日を重ねてきた。
最近ある決断をして少々身軽になり、PCをもって図書館通いを仕、この作業を始めたいと考えている。
一週間に二回ほど通い、一日に五件ほどを消化すると、一年で 365/7×2×5=520件 ほど消化できる。
二年あれば間違いなく終わるという皮算用である。今始めなければ「私の願い」は霧散してしまう。
成果はその都度ご報告をしていこうと考え、今度は本気であることを表明しておく。

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