今日は未明、相当強い風が吹いた。台風9号は九州西方海上を北上したが、暴風域の進行方向東側のいわゆる危険半円から外れたのが幸いだった。
まだ台風名残の風が吹いている。
お後に超ビッグな台風10号が進んできているが、今度は熊本は危険半円に含まれそうな気配である。
平成3年(1991)の台風19号は「りんご台風」とも呼ばれて多大な農業被害をもたらしたが、熊本では電柱の倒壊が相次ぎ、私も一週間か10日ほど電気のない生活を過ごした。
まことに不便な生活で、水やガスは使えたものの、給湯器が使えないため風呂が沸かせず、幸いにも屋根にソーラー給湯装置を挙げていたので、家族全員なんとかシャワーが出来て大いに助かった。
お隣さんがもらい風呂にやってきて喜ばれた。
そんな思い出が有るので、今度の10号には悪い予感がしている。
危険半円から逃れられないのならば、せめて暴風域からは外れてほしいと祈るばかりである。
日帳(寛永五年九月)十七~十九日
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| 十七日
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欅門番牡蠣ヲ進上 |一、けや木御門番土や太郎右衛門、かき一はち上ヶ申候事、
御印切手ヲ落セシ |一、伊藤金左衛門与、寛永三年ニ上方ニ而、 御印おとし申候御鉄炮衆、当年ゟ御切米被下候ニ付
鉄炮足軽ニ切米ヲ | 而、忝との御礼ニ、金左衛門被罷上候、御次而次第可申上通申、金左衛門ハもとし申候事、
給与ス |
与頭礼ニ登城 |
引物師へ用命 |一、下毛郡引物師、色々の木を持罷出、引物可仕由、奉道倫奉也、、則小崎太郎左衛門・木村k郎兵衛
| 両人ニ、御城ニ而、加来二郎兵衛右之様子申渡候事、
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惣庄屋子供初見ノ | 今日初而御礼申上惣庄や子共ノ覚
覚 | 下毛 清兵衛子 守美 長三郎
| (蛎)
| 同 新五兵衛子 ■瀬 五兵衛
| 同 惣左衛門子 深水新左衛門
| 同 孫左衛門子 西谷太兵衛
| 一、御知行被下御礼也、同 福嶋 左介
| 京都郡 四郎左衛門子 堅嶋三右衛門
| (加々山可政)
| 右、主馬御取次ニ而相済也、
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忠利北ノ丸ニテ数 |一、今晩北ノ御丸ニ而被成御数寄候事、
寄ヲ催ス |
棕櫚移植 |一、上林甚介・野村孫兵衛しゆろをほり仕舞、舟ニつミ候て、罷帰候事、
西郡清忠忠利ノ茶 |一、西郡刑ア少輔、昨晩御茶可被下通、被 仰出ニ付而、やとゟ知行所へ申来候、昨晩之筈ニハ合不
ニ間ニ合ハザルモ | 申候へ共、承候而、其まゝハ不被罷居、只今罷出候、少進物持参仕候、今晩上申候事成申候ハ
登城ス | ゝ、上申度由ニて登城被仕候へ共、今晩ハ北之御丸ニ被成御座候間、成間敷由にて、被罷帰候
| 事、
|一、沢村弥左衛門・同安兵衛・戸波儀太夫、今日被罷下候事、
万事談合ニ奉行等 |一、今晩万事談合之事有之ニ付、加藤新兵衛・栗野伝助・豊岡甚丞よひニ遣申候処ニ、甚丞ハふるい
ヲ呼ブ | 付申候由、理り被申候、加藤新兵衛ハ畏候と返事を申、上り不被申候事、
|一、右談合のためニ、金子喜左衛門もよひニ遣候処、被罷上候事
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| 十八日
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忠利松井興長邸ニ |一、今晩ハ、式ア少殿へ被成 御成候事、
臨ム |
初茸採リ |一、歩之御小性高橋久左衛門・渡辺六太夫、はつたけ取ニ、宇佐郡へ被遣候事、
大坂京ヘノ状幷納 |一、一郎右衛門ニ、大坂・京へ之状幷切手共相渡、上せ候事、但、御納戸衆ゟの切手也、
戸役ノ切手ヲ上ス |
岩石山ノ松茸ヲ三 |一、岩石山ゟ参候松茸廿六本、ともニ 三斎様へ被進之候、御小人弐人ニ而持参候、但、酉ノ中刻ニ
斎へ進上ス | 参候事、 御書箱同前ニ渡遣申候事、
国中銭遣ニツキ談 |一、御国銭遣之談合のため、彦進・甚丞・喜左衛門・新兵衛・伝介、よひニ遣候処ニ、何も登城被仕
合ス | 候、伝介ハ煩申由ニ而、登城不被仕候也
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| 十九日
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忠利放鷹ス |一、今朝御鷹野ニ被成御座、九つ時分ニ被成御帰城候事、
忠利北ノ丸ニテ数 |一、今晩ハ北ノ御丸にて御数寄被成候事、
寄ヲ催ス |
速見郡猟鉄炮ノ書 |一、速水郡ゟ参候猟鉄炮之書付、則式ア殿へ、直ニ相渡申候事、
付ヲ松井興長へ渡 |
ス |
鶴ノ鳥見ニ歩小姓 |一、明日靏見せニ、歩之御小被性遣儀、歩之御小性与わき安東可兵衛ニ申渡候事、
ヲ派遣ス |
三斎へ黒木進上 |一、三斎様へ、くろ木百束被進之候御使者ニ、歩之御小性大石権丞被遣候処、御返書を取、被罷帰候
| を、北之御丸ニ被成 御座ニ付而、持参被仕、治アを以被上候へと、申渡候事、
鶴ノ鳥見役 |一、靏見せニ被遣儀、御側ノ御弓・御鉄炮衆之儀ハ横田権佐与之小頭次兵衛ニ申渡候事、