日帳(寛永六年一月)六日~七日
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| 六日 加来二郎兵衛
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鉄行燈修繕 |一、黒瀬九郎右衛門尉・大嶋喜右衛門尉手前ゟ、鉄あんどん壱つ直させ候へと申出し候を、上林与ノ
| (鍛冶)
| かちニ直させ、上ヶ候へと申付、御そうぢの又右衛門尉ニ持せ遣候事、
御拝山講堂正月二 |一、御拝山講堂、今月二日ノ夜やけ申由座主罷出、被申候、如何様之子細ニ而やけ候やと被申候処ニ、
| (ママ)
日ニ焼ク | 二日ノ夜四つ過迄法事を仕候罷下候由被申候、此方ゟ申候ハ、下々たはこ共をのミ、火をぶたさ
煙草ノ失火 | ニ仕、やけ候ものと申候事、
| (少ヵ)
到津口門番ノ下人 |一、到津口御門番村田久助登城にて申候ハ、主召遣候もの今月三日□取にけを仕候を、当町ニて見
取逃ゲ | 御
金山ニテモ盗ミ | 付、吉田縫殿助殿ニ届申候処ニ、走申下人久助ニ被渡候、請取申候、又金山ニても少ぬすみを
| 仕、しちニ置申由承候、右之走り人ハ私請取申候、如何可仕哉と申候間、吉田縫殿ゟ其方へ被渡
処分ハ主次第 | 候上ハ、如何様ニも其方次第ニ仕候へと、返事申、返し候事、
惣銀大坂へ運送ス |一、中津海三右衛門・川匂藤右衛門、大坂ゟ被罷下候事、但、惣銀持上り、大坂衆ニ相渡候て、下り
| 被申候也、
|一、佐分利兵大夫与森作右衛門・御長柄ノ六蔵、京江戸ゟ罷下候事、
| (多聞)
足立山多聞坊御供 |一、安立山タ門坊、年頭之御くう三寸持参申候、御本丸へ持上り、林隠岐ニ被渡候へと申渡事、
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| 七日 石本三介
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| (奈ヵ)大友宗麟室、奈多夫人の出自の神社
奈多宮御供ヲ上グ |一、式ア殿ゟ西村太兵衛を以、桑多之宮ノ御供之由ニ而御上被成候、右社人式ア殿迄、昨日持参申候
| へ共、中津へ何も御礼ニ、今日罷出候ニ付、昨夜早々中津へ遣、右御供をうけ取置申由ニて、御
| 上候、則林隠岐へ相渡候事、
| (元五) 虎徹
|一、志水伯耆殿ゟ、使者ニ而被申越候ハ、志水新九郎百生宇佐郡麻生村之徳丸〇牛、去年十一月四日
牛玉ヲ吐ク | 五つ時ニ
| ノ夜、口ゟ玉出申由にて、被持上候、様子ハ牛煩申ニ付、のどをさすり居候処ニ、口ゟ出申候、ふ
| しんニ存、横山谷中村ノ神主久右衛門ニ、■右牛主徳丸と申もの相尋候処ニ、一大事之物ニ候間、
| (ママ)
| 人ニ見せ不申、其上さた仕間敷由申ニ付、隠置候申候処ニ、右之神主、中津高橋兵左衛門尉ニ右
三斎玉ヲ見ル | 之通申候処、兵左衛門 三斎様へ被申上候ヘハ、可被成御覧候間、持参可仕旨、十二月廿八日ニ
中津領ノ物ナラバ | 被仰遣ニ付、則中津へ持参仕、 三斎様懸御目申候ヘハ、中津御領ニ出来ノ物ニ候ハヽ、可被
召上ゲム | 召上候へ共、小倉御領ニ出キ候ものニ候間、小倉へ上候へと被 仰出ニ付、同十二月廿九日に在
小倉奉行所へ差出 | 所へ罷帰、下代小田辺四郎右衛門ニ、具ニ段々を申聞候ニ付、右ノ徳丸ニ、下代四郎右衛門持せ
ス 牛ハ三才地 | 罷出候、則うけ取置申候也、但、牛ハ三歳地あめノ由、但、男牛、徳丸虎徹ト申百生也、
あめ牡 |