津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「論語と算盤」

2020-09-13 13:55:34 | 展覧会

 自民党総裁選挙、もう決まったようなものだが、セレモニーとして三者の会見が行われていた。
そんな中、岸田氏が示したボードに「論語と算盤」と書かれている。奥方が「何のこと?」と首をかしげていた。
「ほほう、そう来たか」と思ったが、来年の大河ドラマを意識したことではあるまいが?

               現代語訳 論語と算盤の画像

渋沢栄一の著「論語と算盤」は、「利潤と道徳を調和させる」ことを説いている。
新10,000円札や大河のせいでもあるまいが、ちくま新書の現代語訳(守屋淳訳)は35刷以上となりベストセラーである。
私も同著を購入したあとパラパラと目を通したままであったから、今日は一気に読了してみようと思って今からチャレンジしてみようと思う。
岸田氏の話の内容は承知していないが、何をいわんとされたのかを探ってみようと思っている。

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■忠興(三斎)書状収集中

2020-09-13 07:49:13 | オークション

              【真作・肉筆】細川忠興(細川三斎)書状 戦国武将・肥後細川家初代

                

 自斎庵なる人物にあてた音信物に対する礼状である。
この出品物は祐筆の手によるものではなかろうか。三斎独特の筆勢がないように思えるし、筆跡がわりと判読可能である。

「忠興書状収集中」と書いたが、落札をしようという魂胆ではない。
忠興(三斎)のなるだけ多くの筆跡を集めようと考え、このようにオークションで出品されると誠にありがたくコピーをさせていただいている。
現在ある方がお持ちの大変珍しい「側室藤」にあてた三斎書状のコピーをお預かりしているが、自力では何とも読めず知人にも頼み、寄ってたかって格闘しているが完読には程遠い。
三斎の文字解読資料にさせていただこうという思いである。
ちなみに宛名の自斎庵は、湯浅角兵衛‐側鉄炮頭 五百石(於豊前小倉御侍帳)ではないかとひそかに考えているが、確定に至る資料が見当たらない。

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■細川小倉藩(346 )寛永五年・日帳(十二月九日~十一日)

2020-09-13 06:57:42 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永五年十二月)九日~十一日
 
         | 
         |     九日 加来次郎兵衛
         |
         |              (勝定)

         |一、江口彦左衛門舟ニ而、坂崎半兵衛被罷下候、右之船頭兵庫ニ而、 殿様懸 御目候ニ付、御書被
忠利十二月四日大 |  成下候、彦左衛門申候ハ、当月三日ノ晩ニ、兵庫ニ被成御懸由、四日ノ朝ハ、大坂へ可成御着由
坂着船ノ予定   |  申候事、
         |一、野田小左衛門ゟ源四郎、財津惣兵衛・松や道弐へ参候状、財津惣兵衛弐相渡事、
革屋革袴革足袋ヲ |一、かわや九郎左衛門ニ被仰付御かわはかま弐下り・同御たひ拾足持参候を、頓而江戸へ下シ可申候
納ム       |  間、請取被置候へと、御納戸森作兵衛ニ申渡候事、
         |      (具)
金具用ノ砂金吹ノ |一、御かな物ノ奉行に、砂金三百目ふかせ申奉行、富田十太夫与丸見少左衛門・中尾五右衛門、御奉
奉行横目任命   |     〃
         |  行横めともニ申付候事、
         |   (友好)          結城秀康三男   飛脚
         |一、松井宇右衛門ゟ使、唯今松平出羽様ゟ御使者■参候由ニ候、御文箱は定而御町奉行衆持参可被申
         |                    〃〃                 〃
松平直政病ム   |  候、出羽守様御煩悪候由申候事、
直政ヨリ書状幷鮭 |一、松平出羽様ゟ、鮭三尺・御文箱、御飛脚壱人持参候、右之御飛脚 三斎様へ御文箱持参候、式ア
飛脚へ銀子ヲ与ウ |  殿ゟ被仰候ハ、銀子壱枚、右之御飛脚ニ遣候へと、被仰候間付、銀壱枚遣中津候事、
         |                            〃      〃〃

         | 
         |     十日 石本三介
         |                                           (案)
松平直政飛脚中津 |一、松平出羽様ゟ御飛脚ニ、銀子壱枚遣事、右之御飛脚中津へ被参候、次夫・次馬ノ状遣事、安内者
へ赴ク      |  ニ寺本八左衛門与江口太兵衛付遣事、
         |一、右ノ御飛脚中津へ被参候、頼母佐殿・右馬助殿ゟ、長舟十右衛門・貴田権内・高橋兵左衛門へ
         |  御状被遣事、
         |一、右ノ御飛脚ニ被遣銀子壱枚、松岡九大夫御使ニ被参候、御横目ニハ寺本八左衛門与江口太兵衛
         |  也、
         |  (米田是季)
         |一、長岡監物殿ゟ、御使ニ而被仰候ハ、他国ゟ書状参候間、式ア殿へ持参申候、頼母殿も呼ニ遣候
         |  間、両人之衆も参候様ニと、被仰候、御返事ニ、御用ニ取紛レ居申候間、不参候、併、参候ハて
         |  不叶儀ニ候ハヽ、重而可被仰下候、参候て替儀ム御座候間、如此候由、申進事、

         | 
         |     十一日 安東九兵衛
         |
         |       (不破)
走百姓ノ荷物ヲ預 |一、宇佐郡津房ふわ平太夫百生善九郎儀、中津様御領之御百生走候時、荷物預候由ニ付、かり置候
         |         儀ニ付、かり物ニ究候との
リシ者ノ処分   |  か、預候かとの〇証拠人共書上候書物を、上野甚五左衛門・杉無兵衛ニ持せ、御家老衆ゟ中津御
         |                          (元高)
         |  奉行衆へ被遣候処ニ、右之書物を、蒲田久左衛門・志水次兵衛両人見せ、如何と申候ヘハ、次兵
         |  衛被申候ハ、かほとの慥成証人共書物在之上ハ、科人さうニハ不存候、併、 越中様ゟ籠者被
         |  仰付候ものを、私共御上可申儀とハ難申上由被申候処ニ、蒲田ハ平太夫百生斗、石守加兵衛百生
         |                             
         |  壱人ニて候、別人数多在之ハと被申候処ニ、志水被申候ハ、■村ノものハ証拠ニ立申間敷候、此
         |  上ハ在之間敷由被申由候、右両人も長舟十右衛門ニ談合被申候処、十右衛門も別条無御座由被申
         |  通、杉無兵衛被申候事、左候ハヽ、其段を御家老衆へ参、可被申由申渡候事、
         |           〃
栗野伝介快気   |一、栗野伝介煩快気仕由ニ而、登城被仕候事、
         |                                    内庄屋
曽根村次兵衛簗場 |一、曽根村次兵衛やな場上り物ニ成、御城ニ居候へ共、相煩ニ付而、親類苅田村理兵衛所へ参、養生
上リ物ニナル   |                 (快寛)(甚丞)
京都中津郡奉行加 |  仕候ニ付、おやこ共四人請状ニ、佐方・蓑田加判有之ヲ、請状袋ニ入置、御門出切手遣也、
判門出切手    |
         |一、小頭野村孫兵衛申候ハ、御鉄炮衆ノ内、方々定手伝ニ付居申分、与中ニ懸候御役儀幷まわり/\
         |  二御使方/\のため、其与中之めいわくニ成申候間、上り衆ニ被成候か、又ハ跡かハりを拘申
鉄炮足軽出入之割 |  度申候間、此方ゟ申候ハ、御下国之上、可得 御諚候、其内ニ、先惣中ゟ、出入之割、かつてん
合点       |  ニ仕候へと、申付候事、  

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