日帳(寛永五年十二月)廿五~廿六日
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| 廿五日 石本三介
| (米田是次)(田中氏次)
大坂米奉行へ計斗 |一、大坂へ手こ木取ニ、久持■作丞被上、御船頭ハ手嶋喜助、左兵衛・猪兵衛ニ計升弐つ・小升弐つ、
幷小升ヲ上ス | 右之喜助ニ渡、上せ申候事、
請取 | 右之計升弐つ、小升弐つ請取上申候、左兵衛殿・猪兵衛殿へ相渡可申候、 手嶋喜助(花押)
|一、桑原主殿与林九左衛門、寺本八左衛門与有永少九郎、江戸へ十月ニ下り、今日罷下候、但、 三
歳暮ノ小袖ヲ積下 | (南条元信室、細川興秋女)
ル | 斎様へ歳暮之御小そて・苻内御横目衆へ之御小袖、御なへ様・御かね様歳暮ノ御小そて、四丁
立
| (筑紫重門室、細川幸隆女)
四丁立ノ雇小早 | ノやとい小早ニて下申候事、四丁立ノ小早ノ船頭茂左衛門也、
越前松平家ヘノ飛 |一、右之桑原主殿与林九左衛門・有永少九郎両人、大坂ゟ、越前へ御使ニ被遣候時、道中遣銀ニ仕候
脚ニ給与 | へと被 仰、金壱歩壱つつゝ被下候由申候、又越前にて、両人ニ銀子拾匁被下候由、申候事、
| (八幡宮)(八幡宮)
到津幷篠崎宮ノ神 |一、到津・篠崎之神主両人、御礼持参、則御本丸へ上ヶ候へと、申付遣候事、
主御礼ヲ持参ス |
本丸ニ上グ |
| (秀成)
|一、佐藤少三郎ゟかミ袋壱つ、そめ物由、加々山主馬所へ参候ヲ、続平右衛門ニ渡候事、
| (貞重)
永正寺 |一、伊勢因幡所ゟ、永正寺へ参かミ袋弐つ、永正寺内吉蔵ニ渡候也、
| (松井友好)
|一、京ゟ、三宅八兵衛所ゟ小箱壱つ、松井宇右衛門所へ参候ヲ、宇右衛門内加左衛門ニ渡候事、
| (速見郡)
豊後横目等へ歳暮 |一、苻内御横目衆へ、御小袖五つ宛被進之候、御使ハ伊藤十丞、別苻迄ハ歩之御小姓速見長三郎奉行
ノ祝儀 | ニテ、次夫一人ニ持せ遣候事、十丞所ヘハ、別苻へ直ニ被出、可被請取由、御飛脚ニて申遣、状
| ハ式ア殿・我々ゟ調遣候、
| (三淵重政)
|一、長岡右馬助殿へ、小野九右衛門所ゟ道服壱つ、かミ袋ニ入候ヲ、右馬助殿内田中五兵衛ニ渡也、
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| 廿六日 安東九兵衛
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|一、中津様へ、御服持参候御鉄炮衆、今朝登城仕候へとも、明日ノ晩ニ被遣候間、帰候へ之由申候て
| 差帰候事
|一、佐藤少三郎ゟ、かゝ殿へしふかミ包壱つ下候を、宗賀へ人をよひニ遣、舟越久三郎と申ものニ渡
| 候事、
|一、伊藤金左衛門与十三郎
|一、佐分利作左衛門与秋本彦太夫 石
江戸へ石船ニツキ | 右両人、江戸へ上之早飛脚として、明日被遣、但、舟舟之儀、御年寄衆ゟ被仰上候事、
早飛脚ヲ上グ | 〃
金大こけ箔 |一、金大こけ箔壱万五千枚、京ゟ下候を、京右衛門・久五郎ニ渡ス、
|一、岡田茂兵衛御上洛之時、万荷物積上候内、少太夫・小兵衛・甚九郎と札在之古キ上むしろつゝミ
| 壱つ残り在ニ付、持下候由ニて、持参候、但、右ノ札弐甚右衛門預りと在之候也、
彦山政所坊祈祷札 |一、彦山座主坊ゟ政所坊、御祈祷之御札持参候也、
ヲ持参ス | 〃〃〃〃
| (規矩郡) (ママ)
高罠ニテ打チシ隼 |一、隼一居横代村之高わなニ打て申候ニて、持来候、則河井権丞所へ持せ遣候事、
ヲ上グ |
|一、足立與兵衛相使ニ、当分河野新右衛門申付候事、
| (鍛冶)
大阪城普請ニ上リ |一、今度大坂御普請ニ罷上候かち助右衛門と申もの、大坂ニ而御仕事も、前かと上り候かちゟも大分
シ鍛冶出精ス | 仕上候、其上情をよく仕候間、何も当町御用調申候かちなミニ、手付銀なとも被遣、御用被仰
| 付可然由、松田五左衛門・豊岡理介被申候ニ付、右分ニ精を出候儀ハ紛在之間敷候、併、先年御
年寄等ノ諸職人吟 | 年衆諸職人御吟味之時、御用何もなミにて仕上候儀不罷成由、申たる先ニ而候ハヽ、成間敷由
味 | 申候処、和田伝兵衛被申候も、さようのものニ而ハ無之由被申候ニ付、さ候ハヽ、何もなミニ可
| 被仕由、惣積衆へも申渡候、右ノかち名ハ助右衛門と申者なり、東小倉ニ居候由申候也、