日帳(寛永五年十二月)十五日~十七日
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| 十五日 加来二郎兵衛
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| (可政)
加々山可成室中津 |一、加々山主馬女房衆、 中津ゟ御舟ニ而被送遣候、福知平右衛門・川口九兵衛奉行ニ而、此中当
ヨリ輿入ス 祝言 | 地着候而、昨夜祝言相調候事、
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北前ニテ材木ヲ買 |一、香山清兵衛北前ゟ罷帰、申候ハ、百弐十石舟・又七十石舟ニ艘分、御材木かい置申候、彼地ニて
置ク 借船ノ運賃 | 右舟をかり申候ヘハ、百廿石舟ハ五十め、七十石舟ハ三十めノうんちんと申候、余りうんちんた
| かく御座候、かり候て積廻可申候哉、又御舟ニ而御廻可被成哉と被申候、則伝介と談合申候処
同ジナラバ小倉ニ | ニ、当町ニて舟かりも、北前ニて舟かり候も同前ニ候ハヽ、当津ノ舟をかり可遣由被申候、可
テ借ラム | 然様ニ談合可被仕由、申渡候事、
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金箔貼付奉行下地 |一、はり付奉行吉加市兵衛申候ハ、御広間金ノはり付下地、今迄御門矢倉ニハ入不申候間、いつれの
ノ作業ヲ吉用ノ明 | 明家ニて成共、はり申度由申候、吉用家ニ而当分はり申度由候、其分ニ可然由、申渡候事、
家ニテセンコトヲ |
願ウ |
金山奉行等山ヲ仕 |一、春木金太夫・下村五兵衛・堀江勘兵衛被罷出、被申候ハ、昨日迄ニ御■山ヲ仕廻、罷出候由被申
廻ヒ登城ス | 候、さ候ハヽ、知行所へ早々御越可然由、申候事、
矢山ノ牧山ノ番人 |一、矢山之御番池田平左衛門尉申候ハ、前廉ゟの御番之ものニ被渡置候鉄炮、台も少めけ、かな物已
古鉄炮ノ交換ヲ求 | 下悪敷候而、中/\打れ不申候間、かへ被下候様ニと、申候、安場二左衛門ニ申渡、かへさせ渡
ム | 申候事可申由、申候処ニ、か様二損候物をうけ取、又能筒を渡候事如何由、理借被申候ニ付、其
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| 段申渡、帰シ候事、
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| 十六日 石本三介
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| (煮)
塩硝製造ニ横目ヲ |一、橋本惣左衛門ゑんせうに申付、御横目被下候様ニと申候、辻九右衛門を申付、遣候事、
遣ス |
|一、波加弥左衛門病死仕候由、大嶋喜右衛門被申候事、但、昨夜死申由候也、
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| 十七日 安東九兵衛
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| (鏡)
伊勢神宮ノ御祓 |一、かゝみ善右衛門尉夜前罷下候由にて登城、幷伊勢の御はらひ・愛宕宝蔵院ゟノ御札・正源院ゟニ
愛宕宝蔵院ノ札 | 牛王
二月堂ノ牛王宝印 | 月堂の■■、石清水八万松坊ゟの御札、御奉行所へ差上候へ之由にて、上方ゟ善右衛門尉持参候
石清水八幡宮ノ札 | 事、
等奉行所へ上ル |
江戸ヨリノ飛脚ノ |一、御長柄源兵衛・少八と申もの、江戸ゟ罷下候、江戸を十一月廿三日ニ立、大坂ニ十二月朔日ニ
旅程 | (播磨加古郡)
| 着、さ候て、罷下候処ニ、 殿様ニ高砂ニて懸 御目、さ候て御供仕、ふしミへ罷上、今月七日
| ニ、大坂出船仕由、舟ハ岡田茂兵衛舟ニて罷下候由、申候事、
御祓札抔ヲ天守奉 |一、かゝみ善右衛門被罷下候時、大坂ゟ伊勢御はらい箱壱つ、愛宕宝蔵院ゟ御札・奈良正源院ゟ弐月
行へ渡ス | (隠岐)
| 堂ノ牛王・石清水松坊ゟ八幡ノ御札参候を、玄徳ニ持せ、林隠へ渡申事、
| (貸 家) 新兵衛と申
謀判呉服ヲ借リ質 |一、吉田縫殿助登城にて、被申候は、当町御具足や忠兵衛かしやノ銀や、藪道儀内ノ者の判をにせ、
入セシ者ヲ成敗ト | 〃
ス | 大坂ノ商人岡三郎と申者ノ御服をかり、 に付
| から物やにて巻物を請取、しちニ置申候由、右忠兵衛聞届申出候ニ付、相改候処ニ、紛なきとの
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様斬 | 白状仕候間、成敗可仕と存候、御腰物御座候ハヽ、御ためさせ可被成由候、相心得候由申候、又
質ニ取リシ者ニ過 | 右野しちを取候物も、右段々を乍存、取置申ニ付、成敗可仕旨申候へとも、諸人わひこと申ニ付、
怠銀三枚 | 命を助、過怠として、銀子三枚出させ申由、被申候事、