津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■木山往還・花立往還 踏破計画

2021-03-02 17:36:01 | 徒然

 木山往還は熊本市迎町の日向往還の御船口の位置から分かれて、中央区~東区を横断して、お隣の益城町木山に至る約12キロの近世から近代に至る道である。
この道筋を自転車で踏破して確認したいと考えているが、行きかえりで24キロ走らねばならないから、これは現在の私の脚力では到底一気にとはいかない。
そこで近場の東区側をまず踏破しようと思っている。(一部は健軍地区で消えてしまっているが・・・)
スタートは健軍神社前(地図左端)から、終点は桜木地区にある追分(地図右端)とすると、往復7キロ程の行程だろう。
三寒四温の言葉通り、暑さ寒さや天気の移り変わりが不安定なこの頃だし、花粉の飛び交うこの頃だから日にちの設定が難しい。
朝起きがけに「エイヤッ」と決めて飛び出そうと思っている。
中央区側はまた別の機会とするが、こちらも絶対踏破したいと思っている。
(参考の地図は下記の地図、これはたぶんH様のサイトだと思うのだが、引用させていただきます。)

        

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■細川小倉藩(505)寛永七年・日帳(八月五日~七日)

2021-03-02 07:40:26 | 展覧会

     日帳(寛永七年八月)五日~七日

         |                        
         |   五日  加来二郎兵衛
         |
         |  木下
木下延俊使者   |一、右衛門様へ御飛脚被進候御返事、持参申候、休心ニ持せ、御本丸へ上申候事、
         |                       (吉田)
         |一、右之右衛門様ゟ御飛脚、御文箱持参仕由にて、縫殿被持上候事、
十郡改之節出頭ノ |一、發月朔日、十郡諸御改之時、郡々ゟ出申御惣庄や之覚
惣庄屋覚書    |       篠崎孫兵衛
         |       城野五郎左衛門
         |       合馬清六         上野清兵衛
         |  きく   富野二郎右衛門  田川  弓削田甚左衛門
         |       高月孫右衛門       いのひさ太郎左衛門
         |       永の九兵衛
         |                    伊良原二郎兵衛
         |  みやこ  堅嶋四郎左衛門  中津  国作善七郎
         |       稲光作兵衛        長井儀左衛門
         |
         |  ついき  椎田與右衛門   上毛  大瀬孫左衛門
         |       安武喜兵衛        山内大進
         |
         |                    山村弥一右衛門(阿部弥一右衛門、忠利殉死)
         |       蛎瀬新吾兵衛       斎藤角太夫
         |  上下毛  津民平右衛門   うさ  畳石新右衛門
         |  〃    落合孫右衛門       山蔵伝兵衛
         |                    高家末右衛門
         |        (太)
         |       小原大郎右衛門
         |  国東    (安岐)
         |       あキ八郎兵衛
         |
         |  右之分、罷出、相詰、御吟味能承者也、
         |           (是次) (慰英)
         |一、嶋村三郎兵衛ゟ、米田左兵衛・仁保太兵衛方へ銀子言伝被申候を、御船頭東次介ニ言伝上せ申候、
         |  則、銀子相届、請取候との返事取来候、三郎兵衛ニ可相渡也、
船頭等ニ賞与   |一、右御船頭東次介にて、木村久兵衛のり上り被申候処、次介ニ八木壱俵、但、五斗也、又、御加子
         |  ニ斗樽壱つくれ被申候由、被申候也、
         |   (興昌)忠利従兄弟・常陸谷田部藩主
細川興昌飛脚等へ |一、細川玄番様御飛脚ニ、銀子壱枚幷御帷子弐つ被遣候、又、付候而参候小者ニ、金壱歩壱つ被遣候、
郡金等賞与    |                                    (加々山可政)
         |  右金銀請、則、御横目ニ被参候歩之御小生渡辺五左衛門也、但、御飛脚ヘハ主馬殿被成御渡候也、          

         |                        
         |   六日  安東九兵衛
         |
京都ヘノ書状覚  |一、細川玄番様ゟの御飛脚両人乗せ上り申候御小早之御船頭宮崎孫左衛門ニ渡候 御書之覚
         |  一、佐藤少左衛門・真鍋小左衛門尉、此両人ニ被遣候 御書箱壱つ、
         |    (烏丸光賢室、三斎女) 
         |  一、御万様へ、御こほ殿より被進候御文箱壱つ、右弐色渡候也、
         |         (松井興長室、三斎女)
江戸京都ヘノ書状 |一、江戸へ被参かちノ御小性、田辺七郎兵衛ニ渡遣文箱ノ覚
覚        |  一、江戸御留守居衆へ之御文箱弐つ、
         |  一、三斎様への御文箱壱つ、
         |  一、京都衆へ被遣 御書箱壱つ、
         |  一、京都御留守居衆へ、我等共ゟノ状、幷下村五兵衛造佐銀、江戸にてかり被申候を返弁被仕ニ付
         |    我等共ゟ、状をそへ、一包遣候事、
         |    (松井興長)(自徳院、松井康之室)
         |  一、式ア殿ゟ、しとくゐん殿へ被進之文一包、         

         |                        
         |   七日  奥村少兵衛
         |
長崎へ飛脚    |一、長崎へ、為御飛脚被遣候御小人孫助・少右衛門尉、此両人遣候也、
         |          (宇佐郡)
         |一、皆川治ア被申候ハ、船木ノもの、青鷺ノ生鳥を上ヶ申候ニ付、御帷子・御ひとへ物ニ弐つ被遣由、
         |  地ア被申候也、
         |      (成政)                        (覚)
         |一、明日、坂崎清左衛門被乗上候舟ハ拾壱たんほ也、同船弐道各・御茶道ノ以白、四十六丁立に三十
         |  一人のせ申候、但、かちとり共ニのせ候由、かゝみ善右衛門被申候也、

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