オワコンという言葉、「終わったコンテンツ」の略語だそうだが、或る人が「古文・漢文」についてのオワコン論を言い出していろいろ議論が沸騰している。
「古文」[「漢文」が俎上に挙がってしまったようだが、時代に合わないからやめっちまえというのは些か乱暴に思える。
只、世に出たら役に立たないといわれると、そうかもしれないとも思ってしまう。
古文・漢文等知らずとも世の中では生きていける。
かくいう私は工学系人間だから、古文・漢文は大いに苦手であった。
今でこそ古文書にどっぷりはまり込んでしまったが、なにせ独学だから基本がわかっていない。
古文・漢文にもう少し興味を持っていれば、随分違ったことだろうと思ってしまう。
NHKとかユーキャンなどで古文書講座をやっているが、やはり対面でいろいろ講義をうけ勉強したいと思い、地元新聞社が行っている「生涯学習プラザ」に参加しようかと思ったりしている。
興味がわけば独学でもなんとか行けるという感覚が私にはある。しかし大学とか専門機関での研究者となるためには、相当な勉強が必要だし、オワコンだとかたずけられてしまうと、興味を以て専門の道へ進んでみようかと思う人の芽をつまんでしまうことにもなりかねない。人材不足に陥ることは目に見えている。
彼がいうオワコンは、長い歴史の中で日本人の生活を豊かに彩ってきた。まさに日本の文化そのものだが、例えば大学に入試にこのために労力を消費せずに、別の形もあるのではないかという議論も判らないでもない。
なんだか深い教育論なのかもしれない。全国諸兄の議論を注目していたい。
そして知らず知らずのうちに「オワコン」入りしつつある日本の文化を見つめ直し、大切にしていかなければならない。