日帳(寛永七年九月)廿五日~廿六日
| (ママ)
| 廿五日
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京大坂へ音信覚 |一、小野九右衛門・佐藤少右衛門へ、御書箱壱つ、
|一、右両人ニ、続権右衛門ゟ銀子有之状壱つ、
|一、佐藤少右衛門へ、松井宇右衛門ゟ銀子有之状壱つ、
| (秀成)
|一、生嶋玄蕃ゟ、京都へ之状数多有之を、一つニ包、京衆へ当、我等共ゟ遣、
|一、京都衆へ、我等共より御用之儀申遣状三つ、
|一、同所へ、加々山主馬ゟノ御用ノ状壱つ、
|一、坂崎清左衛門所へ、方々ゟノ状、其外京衆へ之状とも六つ遣候事、
| 右之分、西沢文右衛門与樋田少兵衛ニ渡、京差上せ申候事、
| (宕)
愛宕福寿院祈祷札 |一、愛岩福寿院之ゟ、九日御祈祷之御札参、御返事幷使僧兼任ゟ扇子進上之礼状、主馬方ゟ遣、但、
ヲ上グ | 使僧ハ御国ヘハ不参候、大坂まて被参候也、
| 右ノ御飛脚ニ遣、
松茸 |一、岩石ゟ松茸壱籠百廿七本、次飛脚にて参候事、
| (山本)松井家家司
下関ノ能太夫作左 |一、下関ゟ、太夫ノ作左衛門尉参申候、式ア殿ゟ、源太夫を以、被仰聞候ハ、先度参上仕、御能被
衛門来ル | 仰付候時、めをまハし、不調法之仕合ニ御座候、其後終ニ不致参上候間、万事為御礼、参上仕由
| 申候間、 御目見え仕せ候へと、被仰聞候、得其意申由、御返事申候事、
三斎へ松茸進上 |一、三斎様へ、松茸被進之御小早之御船頭桑田左兵衛也、御使者ニハ、かちノ御小性原田理右衛門、
三淵重政京都へ使 |一、長岡右馬助殿、京都へ御使ニ被成御上せ候ニ付而、上方にて賄銀子相渡候由ニ而、米田左兵衛・
者ニツキ上方賄銀 | 仁保太兵衛方加印之切手、豊岡甚丞方へ相渡候也、
切手 | (螺)
小螺三升ノ用 |一、小にし三升御用候間、可取上旨、主馬奉にて被申渡ニ付、御裏奉行ニ申付候ヘハ、門司ゟ五合ほ
| (塩 中 満)
| と持来候、休心を以、主馬方へ渡ス、京ハ塩中ミちニてニ被仰付候付而、三升取出不申候、明
| 日残分取上可申由、門司ゟノ使申候也、 〃〃
屋敷改御印帳ヲ明 |一、やしき御改ノ御印在之帳一冊、森六左衛門尉・波多理右衛門かし申候也、
家奉行へ貸ス |
屋敷絵図 |一、同ゑづ弐つ、溝口理兵衛に渡候、右ノ家奉行衆両人ニ、よくおしへ候へと、申渡候也、
平井某遺物三原ノ |一、平井五郎兵衛遺物として、三原之刀一腰被上候、寺川兵右衛門被持上候也、
刀ヲ上グ |
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| 廿六日 加来二郎兵衛
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| (扇脱)
竹西堂船頭へ賞与 |一、帷子壱つ・団一本、竹西堂ゟ南喜右衛門ニ被下、
洪長老ヨリノ賞与 |一、帯一筋・扇子三本・たひ一足、洪長老ゟ川村弥右衛門ニ被下、
卜西堂 |一、扇子弐本、卜西堂ゟ同人ニ被下、
|一、たひ一足・扇五本、洪長老ゟ同人舟ノ梶取ニ被下、
水主ヘノ賞与 |一、扇子五本、同人ゟ同人舟ノとも・おもてノ御加子ニ被遣候、
芳長老ヨリノ賞与 |一、樽壱つ、芳長老ゟ上田惣吉舟ノ御加子ニ渡遣、
| (ママ)
卜西堂ヨリノ賞与 |一、同壱つ、朴西堂ゟ同人舟ノ御加子ニ被遣候、
| (松井興長)
| 右之書付、懸 御目候処ニ、式ア少所ゟ心得可申遣旨、被 仰付候ニ付、式ア殿へ相渡候也、
|一、木下右衛門尉様へ、一昨晩戌ノ刻ニ、次飛脚にて 御書被進之、今日辰之下刻ニ、御返書時飛脚
| にて参候事、
|一、三斎様へ、今日松茸被進之御使者、かちノ御小性池上加介也、
道服用ノ唐物ヲ高 |一、京都ヘ之便宜ニ、御道服ニ成申ばと申から物、何ほと高直候共、弐端成共、三端成共、かい調可
価ナリトモ購ハシ | 被申候、地白ク候ハヽ、くろちやニそめさせ可被申旨、加々山主馬を以、被仰出候事、則、主馬
メム | ゟ京都へ被申上せ筈也、 〃
| (津川辰珍) (湘雲守沅)
|一、内裏へ、四郎右衛門殿・沅西堂なと御座候ニ、銀子持せ遣候、かちノ御小性ハ三木少介也、
三斎大坂ヲ出船ス |一、大坂ゟ御小早、今晩戌ノ刻ニ下着申候、 三斎様去廿二日ノ申ノ刻ニ、大坂へ御着被成、すくニ
海舟 | 海御舟ニ召被成、御出船候、今晩は、定而上ノ関へ可被成御着と奉存候由、小早ノ御船頭河村喜
| (正次) (周防熊毛郡)
| 左衛門申候由、嶋又左衛門ニ野嶋にて相申候由申候、