津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■木山往還・第二部

2021-03-05 15:30:23 | 熊本

 昼食後13:05出発、まずは今日の出発点に向かう。健軍自衛隊正門前の道路を、約500m南下、右に折れると道なりに歩けば、健軍神社前の道路に至る。
道を間違えることはないが、昨日同様up.downがすさまじく爺様はすぐに足に来てしまった。
都合4.5キロ、1時間20分歩いたが、終盤はふくらはぎが攣り、時々止まっては足を休めながらの昼散歩と相成った。

 
 スタート地点・自衛隊前の大通りから、ヤマハ音楽教室・健軍店の角を曲がり直進

       
       反対側を見ると、木山往還は県営団地に中に消えています。

                                    
               上り下りの激しい道です                   

                       
                       右手にお御堂があり、その先の右角が花立往還入り口

  
 このお御堂の左手が花立往還の分岐点

       
        最後の上り坂
      

                     
              右側から登ってきて、健軍神社前の通りに出ました。正面の木立が見える処が健軍神社

                    
             

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■すぐれもの・・

2021-03-05 12:55:54 | 地図散歩

    朝散歩もせず、木山往還の起点から砂取四つ角迄のルートを、ゼンリンの地図で確認する作業に没頭していた。
改めて確認すると「こんなところを?」とそのルートに驚かされた。
どうしても現代の感覚で道を考えてしまうが、当然のことながらJR豊肥線の高架マウンドなどなかったわけで、JRの線路そのものを頭の中で消去しないとなかなか理解できない。
そのJRのマウンドから東の部分になると、幼いころの私の活動範囲になるのだが、この木山往還が何処を走っていたかとなると、堀之内団地周辺の七曲りのどこを走っていたのかを確認することはなかなかできない。

処が昨日のブログに、ある方がgoogleの「やさしいデジタル地図」の存在をお教えいただいた。
         今昔マップon the web 熊本市
現況の地図と古い地図を左右に同時表示しているから、例えば1900年の地図を利用すれば、往時に近い状況が見て取れ、大変参考になり有難い。
また年代を追うと、主要な道路がいつの頃どのようにつながれていくのかもよく理解できた。
堀之内の七曲りから、砂取四つ角へ出るルートもほぼ理解できた。

よくぞ、お教えいただいたと感謝申し上げる。そして安心して昼散歩、昨日の御約束の木山往還の残りを歩きます。

                                         

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■細川小倉藩(508)寛永七年・日帳(八月十六日~十八日)

2021-03-05 06:53:53 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年八月)十六日~十八日

         |                        
         |   十六日  奥村少兵衛
         |
百姓成敗サル   |一、今日、築城郡本庄村之次郎助、御成敗被成候事、
         |                                (粟野) (加藤) (豊岡)
小倉家中規矩田川 |一、小倉御侍衆、規矩・田川両郡にて、竹木かい被申候分ニ、今迄ハ、伝介・新兵衛・甚丞加判被仕候、
郡内竹木買入ニ惣 |  余郡ハ左様無之由候、きく・田川迄左様ニ候て不入事候、今ゟハ、十郡なミニ、御郡奉行・山奉
積奉行等加判ス  |
今後は十郡並ニ郡 |  行相対次第売付可被申由、平井・小崎・岩下弥二右衛門二当而、切帋遣候、新兵衛・甚丞へも此
奉行山奉行相対次 |  通相渡候、一段可然由被申ニ付、右之痛ニ申付候事、
第トス      |
百姓成敗サル   |一、今日ハ築城郡之内本庄村二郎介御成敗被成候、 殿様も被成御出候、それゟためいけへ被成御
忠利ソノ成敗ヲ見 |                     (規矩郡)
而さゝいせニ出ル |  座、直ニさゝいせへ被成御出候、さ候て、赤坂にて御弁当上り候也、
木下延俊ヘノ返書 |一、木下右衛門様へ之御返書、林隠岐被持出候を、歩之御小性渡辺少左衛門ニ持せ、吉田縫殿所は持
         |  せ遣候事、
         |    (浅山)(田中氏次)
忠利惣奉行等ニ朝 |一、今朝修理・兵庫ニ 御前ニ而御食被下候事、
食ヲ饗ス     |                            (正慶)
溜池ニ禁札ヲ立テ |一、ためいけへ、人むさとはいらさる様ニ札を立候へと、加々山権左衛門を以、被 仰出候事、
シム       |
佐田青山之松茸  |一、佐田青山之松茸百弐本参候、則、上申候事、

         |                        
         |   十七日  奥村少兵衛
         |
         |      (宕)
         |一、田川愛岩山ニはへ候松茸之由にて、弐拾弐本壱籠差上候事、
         |     (亀右衛門)
江戸ヨリ飛脚下ル |一、江戸ゟ、井門与岩成勘兵衛・国友半右衛門与沼口新蔵罷下候、江戸を今月四日ニ立、大坂へ十一
ソノ行程     |                    (氏銕)
         |  日ノ夜着、松野織アゟ言上ノ文箱壱つ・戸田左門様ゟ文箱壱つ、江戸御留守居衆ゟ、我々へ之状
         |      (忠知)   (正俊)
         |  持下、小笠原壱岐様・久貝因幡様ゟ之御状も下ル、
         |                    去五月十九日ニ
本多政朝へ籠ヲ贈 |一、本多甲斐守様へ御乗物被進之候、江戸へ便宜之時被遣候、其前日之くれかたニ出来仕ニ付、夜中
ル        |                    〃〃〃〃
夜中ノ包装ニ蠟燭 |  ニつゝませ可申旨被 仰出候時、さふら火にてハミへ不申ニ付而、らうそく請取、つゝませ被申
ヲ要ス      |  候、松の丸衆かつてん不参、右之らうそく之請取切手ニ、うら判夫被仕候間、此方ゟ判形仕、遣
松ノ丸衆合点セズ |  候也、
         |   (忠政)
         |一、森美作様ゟ、御飛脚両人参候事、
             (長晟)
浅野長晟飛脚へ京 |一、浅野但馬様ゟ之御飛脚弐人に京銭四貫文被遣候を、歩之御小性永や二郎介ニ持せ、横田権佐迄遣
銭賞与      |  之、渡させ候事、

             〇十八日分 記載ナシ、

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