津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■井上源三郎宛の礼状

2021-03-01 13:59:17 | オークション

                    〈細川斉樹〉書状 井上源三郎宛 

          

 細川斎樹が井上源三郎に宛てた、音信物に対する礼状である。「写」と断りがあるが、見事な筆跡である。
この手の書状は過去にも何度か出品されていたことを記憶している。当初は井上源三郎成る人物は家臣かと思って色々調べたが該当者が存在しない。
幕府の役人かもしれないとも考えていた。
何気に自分のブログでサイト内検索をしてみた処、これがヒットしてヒントを得ることができた。
2015:1:14にご紹介した「■立政公御参勤 道中日記をたどる・13(伏見入り)」に、井上源三郎の名前が見える。
この立政とは後に上記の文書の主・齊樹の養嗣子となった齊護の事である。

上記道中日記によると、立政が伏見の本陣に入った時、関係者10名程が共に立政に御目見をしている。
その折土産を持参しておりその詳細が記載されているとともに、それぞれに金子の拝領が仰せつけられている。
伏見本陣の関係者であろうことが伺える。

ここのところご紹介している「細川小倉藩・日帳」は、寛永期のもので時代は全く違うが、同名の名前が見え、どうやら井上源三郎を代々名乗る京都周辺の有力な商人であろうことが推察される。

 ・寛永元年十一月廿五日
町人ノ家中貸付米 |一、松屋道仁・糸屋宇右衛門・井上源三郎手前米、御家中へ御借付被成、利米相渡候事、
ノ利米      |

 ・寛永五年四月十二日
鮒鱒鮓      |一、井上源三郎ゟ鮒鮨桶壱つ・鱒壱つ進上仕ニ付、 御書一つ、

 ・寛永五年五月六日
鯖        | 一、井上源三郎ゟさば一箱進上候事、

 ・寛永五年七月八日(上方から音信物下る)
         |       (鱈ヵ)    
         |一、井上源三郎ゟ□壱つ下ル、則上申候事、

 ・寛永七年四月十四日
北ノ丸ニ井上源三 |一、今朝は於北丸、井上源三郎被成御数寄候也、
郎ヲ数寄ニ招ク  |

 ・寛永七年五月廿四日
柄巻革下ル    |一、今日、大坂ゟ御舟下申候、御船頭は岐木九兵衛也、御柄巻革ノ由一箱、又、井上源三郎ゟ上り申
京摂津河内洪水  |  さばの由ニて、一箱持下申候、右御船頭申候は、京都ニハ、去廿日・廿一日ニ大水出申候、摂津
淀城内は舟行ス  |  国・河内ニハ河端ノ土手堤之分も壱間も無御座候由申候、又淀ノ御城ニハも水つき、城内をかち
         |  にてもありき申儀不相成、舟ニ而ありき申候由申候、

 ・寛永七年五月廿九日
忠利書状等京大坂 |   生嶋玄蕃殿へ之 御書壱通、
諸方へ      |   井上源三郎へ之 御書壱通、
         |  ソノ外、京・大坂へ御用之状とも不残、入江仁兵衛・瀬崎猪右衛門両人ニ相渡申候事、         
  

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■細川小倉藩(504)寛永七年・日帳(八月朔日~四日)

2021-03-01 07:16:15 | 細川小倉藩

 今回から、「福岡県史‐近世史料・細川小倉藩」(三)に移り、ご紹介します。
何故か六・七月が飛んでおり、寛永七年八月から開始します。
三巻は後半に元和年間が収録されており、これはすでに紹介済のため、該当分は153頁しかありませんから二か月半くらいで完了となります。

     日帳(寛永七年八月)朔日~四日

         |                        
         |   朔日  奥村少兵衛
         |
         |            (規矩郡)
野牛ヲ藍縞へ運ブ |一、岩田喜右衛門尉申候、あいノ嶋へ矢野牛三疋つれ参候、彼地ニ廿居申由、所ノあま共申候、主申
海士牛数ヲ告グ  |  候ハ、十七八外ハ居不申候、定而、物ノかけニ居申候や、海士共申分ニ候へ共、都合弐十三疋ノ筈
廿三疋      |  二而候由申候、
仰出ニ物書等ヲモ |一、万事、今日可被 仰出と被思召候へ共、今日ハ被成御延候、明日可被成御聞旨ニ候、物書共も大
呼集ス      |            (岩尾嘉入軒)(山崎ヵ)            (山田) (市村)       (北村)  
         |  勢参候様と、被 仰出ニ付、嘉入・伝左衛門・九兵衛・三太夫・善兵衛・四兵衛・権兵衛・甚十
         |  郎、此分申ふれ候也、

         |                        
         |   二日  加来二郎兵衛
         |
菅村和泉宇佐宮ノ |一、菅村和泉被申候ハ、うさの作事初申由申来ニ付、参候由被申候、可被参由、申渡候事、
作事ニ赴ク    |
         |              (景延)
宇佐大貞社米取立 |一、宇佐大貞社米取立之帳、宗像清兵衛ニ相渡候也、
帳        |

         |                        
         |   三日  安東九兵衛
         |
大寒入替ノ書付  |一、御代官入替ノ書付、加藤新兵衛ニ渡申候事、
         |                             (掻笥)
上方僧迎ノ風呂舟 |一、御出家集御迎ニ、御風呂舟被遣候時、御奥ゟ御行水桶弐つ・かいけ弐被成御出シ、御舟へ入可遣
ニ行水桶等ヲ入レ |  旨、高見猪介を以、被 仰出候、御船頭衆もとし申候間、則、御掃除坊主ノ喜斎弐渡、猪介ニ渡
シム       |  候へと、申渡候事、
         |  (衛則ヵ)           (三淵重政)  (津川辰珍)
谷衛則室知行所等 |一、谷主膳殿御内儀ノ知行・右馬助殿御知行・四郎右衛門尉殿御知行・平山四郎兵衛知行・木原権太
ニ代官ヲ命ズ   |  夫知行、御代官被申付候へと、加藤新兵衛ニ申渡候事、
渡辺茂書状忠利宛 |一、京都ゟ、佐藤少左衛門尉もの罷下候ニ、渡辺山城様ゟ、 殿様へ被進御状壱通、其外大坂ゟノ状
         |  とも持下候事、
坂本某誓紙ヲ上グ |一、坂本仁兵衛誓帋、 御前へ上申候事、

         |                        
         |   四日  加来二郎兵衛
         |
船頭明屋敷ヲ望ム |一、御船頭宇高久右衛門尉明家屋敷、河野五太夫望申通、かゝみ善右衛門書物持参被仕候、別ニ望申
         |  もの無之由候間、遣可被申由、申渡候事、
重陽ノ呉服    |一、九日ノ呉服ニ付、江戸へ参御鉄炮衆は、井口少介・佐分利兵大夫与篠田久右衛門と申者也、歩之
         |  御小性ハ田辺七郎兵衛也、
十郡改ノ奉行二人 |一、御奉行衆両人共、御腰物壱こし宛被為拝領候、十郡之御改、今度被 仰付候、定而悪事ヵ有之と
腰物ヲ賞賜サル  |  被 思召候処ニ、さしたる儀無之候、両人能申付候と被思召候旨ニ而、右之御こし物被遣候也、

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