日帳(寛永七年十月)廿六~廿九日
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| 廿六日 奥村少兵衛
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鷹狩 |一、今朝、御鷹野ニ被成御出候事、
大手門番交替 |一、大手ノ御門番、村田六兵衛替ニ、財津惣左衛門元組塚本理右衛門、
質部屋番人跡替 |一、しちへや御番、伊藤十介替ニ、西沢与児玉又左衛門、
| (浅山)
口屋番人跡替 |一、口や御番ニ、修理与白木牛介、但、山本理兵衛かわり也、
| 山川与
町籠番人跡替 |一、町籠御番、堀江甚右衛門替ニ、〇坂口仁兵衛、
籤取 | 右四人上り人ニ申付、くし取候て、如此相定者也、
| (三淵宗由)
三淵宗由障泥四懸 |一、長岡藤十郎殿、江戸ニ而、御あをり四かけ御かり候て御遣候、かわりノあをり四かけ、此度口御
ヲ借出 | 納戸御物同前ニ□つて御下候、江戸にて、御留守居衆へ相渡、証文取下候へと、森作兵衛ニ申渡
| 候事、
上方ヨリノ物数 |一、風斗五兵衛罷下候ニ、持下候物数ノ事、
| 一、京衆ゟ文箱一つ、我々へ、
| (松井友好)(皆川)
| 一、野尻杢ゟ、かつほ一箱被上候、又、状ハ宇右衛門・治アニ当、文箱下ル、
石清水八万松ノ坊 | 一、八幡松ノ坊・宮本坊ゟ進上、かわ・扇子ノ入たるかミ包弐つ、
宮本坊ヨリ音信 |
護符 | 一、御札も、右両坊ゟ被上ル、
伽羅用ノ鋸 | 一、伽羅御ひかせ候のこきり三つ下ル、
芳長老 | 一、芳長老ゟ、 殿様へ之御状一つ、
椿ノ継木 | 一、椿ノつき木も下ル、
| 一、右之外、京・大坂ゟ之書状共数多下ル也、
| (秀成) せ
生嶋秀成上京随行 |一、右ノ御船頭、生嶋玄番殿の上候ニ、舟中ニて、かこ弐十人幷御長柄衆二人ニ壱歩判壱枚、御船頭
者等ニ賞与 | (村松)
| ニ銭五百、かち取ニ銭弐百、御鉄砲衆ニ、二人ニ五百三百宛、村長右衛門ニ五百被下候由申候也、
| 〃〃
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| 廿七日 奥村少兵衛
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| 御座、
忠利鷹野ヨリ晩藪 |一、今日は未明ゟ、御鷹野ニ被成 〇晩ハ藪市正所へ、すくニ被為成候事、
正直邸ニ臨ム |
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| 廿八日 加来二郎兵衛
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| (吉兵衛)
田川郡代官松岡某 |一、黒部与西村十兵衛
ニ付ケシ番人 |一、同与高倉久太夫
| (重元)
|一、井門与池尻新介
|一、同与井口仁右衛門
|一、同与河内何右衛門
| 右之分、御代官松岡七左衛門ニ、番ニ付申候事、
| (抱)
船頭新規召抱 |一、御船頭ニ、万代久右衛門と申もの、今日新参ニ被召拘候事、
| (ママ)
|一
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| (ママ)
| 廿九日
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|一、井門与大畠作右衛門、中津郡へ遣候処、花熊之村ニ、真鴨ノ女鳥壱つ、たちかね居候由にて、持
| 来候、御台所へ払候へと、申付候事、
| (炮脱)
|一、御鉄衆大畠作右衛門、中津郡へ御飛脚ニ遣候、然ニ、花熊村にて、生鴨ノ女鳥壱つひろい申由ニ
| 而、持来候間、御台所之勘十郎ニ渡申候也、
| (国遠)
唐人明寰ノ借状 |一、唐人明寰借状壱枚、道倫所へ持せ遣候、但、銅代銀、家作事入目、長崎ニ而御取替被成候銀ヲ、
長崎銅代銀 | 一つニ究たる借状也、
家作入目 |
| (規矩郡)
領内ノ鮭ヲ上グ |一、矢嶋平三郎組加来少右衛門、横川ニ而、鮭壱つとらへ申由ニ而、持参仕候事、
|一、林二郎兵衛下代、村廻仕候とて、川ノ瀬にて鮭を取候由にて、二郎兵衛所ゟ持せ上げ候、弥五左衛
| 門上ヶ被申候也、