津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■木山往還に桜木の追分石と、益城の猫伏石を訪ねる

2021-03-03 13:03:53 | 熊本

 今日は良い天気になった。少々寒くてダウンをはおり、10時過ぎから自転車で出かける。
帰りは坂道を避けるために大きく迂回したので約10キロの行程を1時間半をかけて走ってみた。
健軍自衛隊の大きな敷地は東と西に二つあるが、東の方のブロックに面する道のちょうど真ん中あたりから、斜めに一直線に走るのが木山往還(実は花立往還が正解のようだ)■木山往還・花立往還 踏破計画による地図では、黄色表示が「花立往還」とあるが、これが「木山往還」であり、赤線が「花立往還」である。
  参考:https://www.city.kumamoto.jp/common/UploadFileDsp.aspx?c_id=5&id=11960&sub_id=141&flid=200795

その熊本市のはずれ桜木地区とお隣益城町の境の変則五差路に追分石があった。

 右奥から走ってきたが、左のミラーの下に追分石があった。

  

私が走ってきた右斜めに見える道が花立往還だろう。    右すなとり(砂取)、左ぬやま川(沼山津)とある。

 この記載からすると、上の写真にある左折する道が「左」で沼山津、真っすぐ行く道が「右」砂取と考えるのが妥当である。

 

砂取方向から来ている道を真っすぐ東進し300m程の所に、巨大な「猫伏石」と名付けられた二つの石が鎮座している。
猫伏は「ねこぶく」と読むが、農家で籾を干したるするときに使う、厚手の蓆をいう。
命名の由来は案内板をどうぞ。熊本城内で井戸に落され殺された「横手の五郎」に由来する伝説の石である。

 三方向から道が交差する中に鎮座している。

 案内板

 木山街道から右手に回り込んだ所。

 お地蔵様

 左手奥に木山往還が続く。(地元の方に確認しました)

 案内板は石の左手の白い部分にある。

   随分花粉が飛んでいたのでしょう、帰ってから鼻水・くしゃみ・目のかゆみに大いに悩まされています。

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■細川小倉藩(506)寛永七年・日帳(八月八日~十一日)

2021-03-03 06:44:24 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年八月)八日~十一日

         |                        
         |   八日  加来次郎兵衛
         |
         |                                (ママ)
幕府茶道以白将棊 |一、坂崎清左衛門尉、今日被罷登候、同船にて、 上様御茶道以白、将碁さしノ道覚被成御上せ候、
指道覚出帆    |  以白ニハ銀十枚、道覚ニハ於大坂御米三十石被遣候也、
         |                            (慰英)    (是次)
道覚ヘノ給与米  |一、道覚へ被遣御米ノさしかミ、状之内ニつゝミと入、大坂仁保太兵衛・米田左兵衛方へ遣候を、津
         |   (辰珍)                〃
         |  川四郎右衛門殿ゟ、切手とり被遣ニ付、四郎右衛門殿内左右衛門と申ものニ渡申候、
風損ノ中津ノ船修 |一、今度ノ大風ニ、中津御舟大分損候間、当町舟大工拾四、五人御やとい有度由、被仰越ニ付、得
理ニ舟大工ヲ遣ス |  御意候ヘハ、申付、遣候へと被 仰出ニ付、舟大工太郎左衛門ニ申付、遣候也、
         | (清成作助)  (新町)          (元明)
宇佐郡代官下代庄 |一、作介下代・庄や太郎兵衛番ニ、住江甚兵衛与安部喜右衛門・高橋弥右衛門申付也、
屋ノ番人     |   (森永次兵衛)
         |一、作介ニ付、北前へ遣候御鉄炮衆罷帰、申候ハ、作介かい置ノ材木調、はか不参付、先罷帰候由に
         |  て、登城仕候也、

         |                        
         |   九日  安東九兵衛
         | (ママ)
         |一、

         |                        
         |   十日  奥村少兵衛
         |
泰勝院懺法ノ花籠 |一、今度泰勝院御法事ニ、せんはうの花かこ三つ不足仕ニ付而、中津ノかいかんしの花かこ三つかり
不足分ヲ対巌寺ヨ |  申候、今日御小人ノ角右衛門ニ持せ、中津へ返し申候也、但、矢左衛門与、
リ借用      |
         |一、松岡七左衛門尉・井上孫兵衛御算用仕上げ候由、被申候事、
         |                (直正)
         |一、明日、江戸へ被遣御鉄炮衆、寺本八左衛門与江口太兵衛・友田二郎兵衛与梶原久丞、
下毛郡代官算用済 |一、御代官萱嶋作兵衛・野村兵左衛門尉、去年分ノ御算用相済申候、併、中津様御蔵納、新地・永荒
ム 中津領蔵納ノ |  之御算用之儀ニ付而、御米弐石余ノ儀、御算用済不申候、小崎太郎左衛門様子被存候、今程煩ニ
新知永荒分ノ算用 |       被                                      (元高)  
未済       |  付而、不罷出候、被罷出次第、様子可被申上候間、左候ハヽ、蒲田賢斎・志水次兵衛なとへ被仰
         |  入にて可有御座候由、被申候事、
         |  (豊後)                                             (宇野)
幕府横目ヘノ音信 |一、苻内御横目衆へ被遣御飛脚ハ、與介与ノ喜ノ介・源三郎与新介也、 御書箱弐つ幷七右衛門
         |  所へ遣帳、又、我々状壱つ渡、遣也、
判はんじヨリ船頭 |一、木村久兵衛を、東次介舟にて乗上ケ候処、次介ニ米五斗、御加子中ニ樽壱つ給候由、次介書上候、
等へ賞与     |  則、上候也を坊主宗印を以、治ア・おきニ渡候へと、申遣候也、
         |      〃

         |                        
         |   十一日  加来二郎兵衛
         |
         |一、今日、江戸へ御飛脚弐人被遣候、道中にて 三斎様へ懸 御目候ハヽ、御返事を取、一人爰元へ
         |                                 (飯田)
         |  可罷下候、被取ハ江戸へ通り、御留守居衆へ被遣 御書箱可相渡旨、才兵衛を以、被 仰出候、
         |  但、小倉を今月七日ニ出船仕候へ共、日和悪敷御座候て、十一日ニ門司を出申由申候而、御状を
         |  上ヶ候へと、慥申渡、遣候也、
新町庄屋赦免サル |一、新町之庄や太郎兵衛、今日御赦免被成候也、
宇佐郡代官下代ヲ |一、清成作介下代森永次兵衛と申者ハ、新籠ニ被成御入候也、
新籠へ入ル    |
         |   (久盛)
中川久盛書状   |一、中川内膳殿ゟ、御飛脚参候由にて、吉田縫殿御文箱持上り被申候也、

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