日帳(寛永七年十月)廿日~廿二日
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| 廿日 加来二郎兵衛
| (坂)
馬舟出船 |一、今日、御馬舟出船仕候、御馬拾弐疋、永井安太夫・大塩藤右衛門・酒井忠三郎上ル、但、三艘
| にて上ル、
| (規矩郡)
雄鴨持参 |一、小崎與次右衛門所ゟ、真鴨ノおんとり壱つ持せ被差上、被申聞候ハ、徳光ノ庄や、右ノかも持来、
| 御台所之
| 申候ハ、もちニかゝり申候哉、犬くわへ候て参候由申候而、上申候間、差上申由也、則、熊野半
| 御さかな奉行歳近五兵衛ニ渡、 〃〃〃
| 左衛門ニ渡させ申候也、
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| 廿一日 奥村少兵衛
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|一、北村伝兵衛・御鉄炮衆城野五郎介・福嶋五兵衛、江戸ゟ罷下候事、
| (横山重嘉)
|一、助進与ノ小頭田代藤右衛門、上り衆ノ内ニ可被召加哉事、
| (直正)
|一、今日、江戸へ被遣御鉄炮衆、寺本八左衛門与須山作右衛門・佐分利兵大夫与かい九兵衛、松野
| (親英) (松井興長) (主水)
| 織ア・町三右衛門ニ、被遣大キ 御書箱壱つ相渡ス、又、長岡佐渡殿ゟ寺嶋所へ被遣文箱壱つ渡
| 遣、
| (直政) (亀右衛門) (文右衛門)
松平直政ヘノ状 |一、越前松平出羽様へ之、今日被遣御飛脚、井門与尾崎長兵衛・西沢与大石七兵衛也、 御書箱壱つ
| 相渡候、長岡佐渡殿ゟ、江戸織ア・三右衛門へ被遣御状一つ渡ス、是ハ出羽様御国ニ無御座、江
| (衍) (ママ)
| 戸へニ于今御御座候ハヽ、江戸へ持下候へと相渡候、越前ゟ戻り候ハヽ、佐渡殿御状ハ持かへり
| 〃
| 候へと、申付候也、
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| 廿二日 加来二郎兵衛
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|一、服部左太右衛門孫ニ、御知行被 仰付、忝奉存由にて、御礼ニ被罷出候事、
知行所行ノ届 |一、高田久三郎申候ハ、親角左衛門、御留守ニ成候ヘハ、知行所へ引越申候、左候ヘハ、私も親同
| 前ニ参候間、其心得可仕旨、被申候事、
忠利帰城ス |一、今日、 殿様被成 御帰城候事、
| (筑紫重門室、細川幸隆女)
|一、小林三介も、御上洛被成候ハヽ、御かね様御知行大内田村へ引越申由、被申候事、
| (田川郡)
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|一、今度中津へ、口ノ御納戸ゟ、新敷もうせん壱枚、御中間加介請取参、持かへり申候、殊外損申
| 候由にて、御納戸ノ御番衆持来候、加介ニ相尋候へと申候事、
鉄炮紛失ス |一、吉田縫殿助登城にて、被申候ハ、神西與三右衛門鉄炮壱丁失せ申候、自然、町ニしちなとニ置申
入質セルヲ返サシ | 儀も可有之候、改くれ候へと被申候ニ、町中申触候処、田町ニ預置申候、則、與三右衛門へ返し
ム | (昭知)
預主三淵昭知小性 | 申候、預り主ニ、たれ人預ヶ置候やと申候ヘハ、三淵内匠殿小性預置候由申候、御触之時、預ヶ
走ル | 申主へ、此御改有之由申候ヘハ走候由申候、外ニ、鉄炮壱丁預置候由にて出申候、未主ム御座候
| 事、 〃〃