津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(525)寛永七年・日帳(十月廿日~廿ニ日)

2021-03-23 08:26:52 | 細川小倉藩

    日帳(寛永七年十月)廿日~廿二日

         |                                       
         |   廿日  加来二郎兵衛 
         |                                 (坂)
馬舟出船     |一、今日、御馬舟出船仕候、御馬拾弐疋、永井安太夫・大塩藤右衛門・酒井忠三郎上ル、但、三艘
         |  にて上ル、
         |                                (規矩郡)
雄鴨持参     |一、小崎與次右衛門所ゟ、真鴨ノおんとり壱つ持せ被差上、被申聞候ハ、徳光ノ庄や、右ノかも持来、
         |                                          御台所之
         |  申候ハ、もちニかゝり申候哉、犬くわへ候て参候由申候而、上申候間、差上申由也、則、熊野半
         |  御さかな奉行歳近五兵衛ニ渡、                             〃〃〃
         |  左衛門ニ渡させ申候也、
         |  〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃

         |                                       
         |   廿一日  奥村少兵衛 
         |
         |一、北村伝兵衛・御鉄炮衆城野五郎介・福嶋五兵衛、江戸ゟ罷下候事、
         | (横山重嘉)
         |一、助進与ノ小頭田代藤右衛門、上り衆ノ内ニ可被召加哉事、
         |                (直正)
         |一、今日、江戸へ被遣御鉄炮衆、寺本八左衛門与須山作右衛門・佐分利兵大夫与かい九兵衛、松野
         |   (親英)                                                                                                                   (松井興長) (主水)
         |  織ア・町三右衛門ニ、被遣大キ 御書箱壱つ相渡ス、又、長岡佐渡殿ゟ寺嶋所へ被遣文箱壱つ渡
         |  遣、
         |    (直政)           (亀右衛門)   (文右衛門)      
松平直政ヘノ状  |一、越前松平出羽様へ之、今日被遣御飛脚、井門与尾崎長兵衛・西沢与大石七兵衛也、 御書箱壱つ
         |  相渡候、長岡佐渡殿ゟ、江戸織ア・三右衛門へ被遣御状一つ渡ス、是ハ出羽様御国ニ無御座、江
         |      (衍)                   (ママ)
         |  戸へニ于今御御座候ハヽ、江戸へ持下候へと相渡候、越前ゟ戻り候ハヽ、佐渡殿御状ハ持かへり
         |   〃
         |  候へと、申付候也、

         |                                       
         |   廿二日  加来二郎兵衛 
         |
         |一、服部左太右衛門孫ニ、御知行被 仰付、忝奉存由にて、御礼ニ被罷出候事、
知行所行ノ届   |一、高田久三郎申候ハ、親角左衛門、御留守ニ成候ヘハ、知行所へ引越申候、左候ヘハ、私も親同
         |  前ニ参候間、其心得可仕旨、被申候事、
忠利帰城ス    |一、今日、 殿様被成 御帰城候事、
         |                 (筑紫重門室、細川幸隆女)
         |一、小林三介も、御上洛被成候ハヽ、御かね様御知行大内田村へ引越申由、被申候事、
         |                        (田川郡)                      
         |
         |一、今度中津へ、口ノ御納戸ゟ、新敷もうせん壱枚、御中間加介請取参、持かへり申候、殊外損申
         |  候由にて、御納戸ノ御番衆持来候、加介ニ相尋候へと申候事、
鉄炮紛失ス    |一、吉田縫殿助登城にて、被申候ハ、神西與三右衛門鉄炮壱丁失せ申候、自然、町ニしちなとニ置申
入質セルヲ返サシ |  儀も可有之候、改くれ候へと被申候ニ、町中申触候処、田町ニ預置申候、則、與三右衛門へ返し
ム        |                         (昭知)  
預主三淵昭知小性 |  申候、預り主ニ、たれ人預ヶ置候やと申候ヘハ、三淵内匠殿小性預置候由申候、御触之時、預ヶ
走ル       |  申主へ、此御改有之由申候ヘハ走候由申候、外ニ、鉄炮壱丁預置候由にて出申候、未主ム御座候
         |  事、             〃〃  

         

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■川瀬巴水の熊本連作

2021-03-23 06:54:20 | オークション

                  

 ヤフオクの検索欄に熊本と打ち込んでみたら、川瀬巴水の「熊本城御幸橋」という作品(コピー版)が出品されていた。
巴水の「熊本城宇土櫓」はコピー版を持っているが、こんな作品があるとは知らずにいた。
御幸橋は大正12年の作品である。ふと巴水には熊本に関するほかの作品があるのではないかと思った。
そこで、「川瀬巴水 熊本」と打ち込んでみたら、案の定ほかに二点の作品が出品されていた。
「熊本春日町」「熊本繪圖湖」である。

明治天皇の熊本行幸は明治5年と35年の二回行われている。行幸橋は二度目の行幸を前にして新たにかけられたものであり、その行幸橋を主題として描かれている。夕焼けが映える川面に、金峯山の頂や熊本城の長塀や楠木が影をおとす様は、橋がコンクリート橋に架け替えられた今日でも変わらぬ風情が見て取れる。

          

左・「熊本春日町」は灯ともし頃の風景だが、さて何処なのだろうか。川は坪井川、遠景の丸い山は万日山か?
川を挟んだ二本木あたりから望む夕景だろうか?

右・「熊本繪圖湖」も夕景であろうか? 下画図の中之島あたりの道路(画図塘)あたりから見る東南東面というような気がする。
右手の丸い山を見付けにそのうちに画図湖の塘までチャリンコを走らせてみようかと考えた。

ひょっとすると他にも巴水の熊本シリーズが存在するのかもしれない。図書館で画集をチェックする必要がありそうだ。

コメント (1)
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