津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■散歩道の樹木伐採

2021-05-06 11:43:09 | 熊本

 ようやく熱も引いたので3日ぶりに散歩に出た。熱は引いたが身体が少々ふらつくし、日影を選びながら40分ほど歩いてみた。
帰り着くとポストに、地元某市会議員の「市議会報告」なるものが入っている。
いくつかの項目の中にあったのが、写真の記事である。

         
 道路の樹木の伐採が取り上げられている。よくよく写真を眺めるとなんと自衛隊(西ブロック)の東側の、たった今私が通った散歩道が写っている。
赤いテープを巻いた樹木を伐採するというのだ。これには全く驚いてしまった。
実は今日も、市民病院建設の際に数本のクスノキが伐採され無くなって居り、歯がかげた様にさみしくなっていて、構内にでももう少し植樹をしてもらいたいと考えた處であった。
赤いテープが巻いてあるのには気づいていたが、何のためのものかは知る由もなかった。
私の散歩コースの樹は半分以上切り倒されるのではないか・・・・何という事だ。 

 夏目漱石が熊本の第五高等学校(現・熊本大学)に赴任してきたのは、明治29年4月の事である。
上熊本駅頭におりたち、京町台へのぼり眼下の市街地を眺めて、「あぁ熊本は森の都だな」と言ったとされる。
(実はどうやら根拠のない話らしい。 参考:熊本県立図書館レファレンス)
深い詮索はよしておこう。以来熊本人は「熊本は森の都」と信じて疑わない。
現状は「森の都」と言えるのだろうか。緑陰を歩く爽快さが奪われてしまうことになりそうだ。

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■親族の不行跡

2021-05-06 07:13:36 | 歴史

            

明和7年12月、田中左兵衛長衛がよろしからざる事件を起こしたため、親族には「親類縁者差扣」が仰せ出された。すごい人たちに名前が並んでいる。
  
       三日差扣  長岡伊豆殿 従弟 ・ 三淵伊織助殿 小舅 ・ 木村半平 実小舅
       五日差扣  大木舎人  従弟 ・ 堀 丈八   聟  ・ 溝口三伍 従弟
             坂崎一角  従弟 ・ 奥村安太夫     ・ 落合勘兵衛 従弟
       十日差扣  小笠原備前 実兄
       自身ゟ差扣 長岡商隠老 伯父 ・ 長岡桂老 叔父

この人は養子なのだが、実家は一番長い処分「十日間の差扣」を言い渡された、小笠原備前が「実兄」とある事である。
この小笠原備前とは6代目の長衛家で老職も務めた。ご先祖様はガラシャ夫人に準じた小笠原少齋である。
奥方は細川重賢の妹「津与」である。
小笠原備前家の系図を見ると弟(七郎氏常)がおり、これが長衛であり、備頭や城代を勤めた田中家の左兵衛氏昭養子に入っている。
はたしてどういう事件だったのか・・・

奥方の侍女に懸想し、奥方付きの医師に仲介を頼み恋文を送ったというのである。後、180石取のこの医師は80石減知された。
事は露見し「不義」ということになった左兵衛は、いろいろ言い訳がましいことをしたようで、かえってこれが心証を悪くしたようだ。家禄4,000石は召し上げられ蟄居が申し渡された。
但、田中家は名家である。則、嫡子・典儀に「先祖之訳」に対し、旧知の2,000石が与えられている。
先祖は柳川城主を勤めた田中吉政の弟である。

実は養父・氏昭も蟄居させられており、これは元文ニ年曹洞宗禅定寺に対しての離檀事件を起こし家中では解決せず、幕府迄上り敗訴したことに寄る。田中家にとっては度重なる不祥事である。

これを先祖附に反映させようかどうかと悩んでいる。
この姻戚関係は大変興味深く、略系図作製に挑んでいるが、情報不足もあってなかなか手に負えない。成果をご披露するには、少々時間がかかりそうである。

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