津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■井上章一教授の講演

2021-05-24 18:40:52 | 人物

こちらもYouTubeから、井上教授のユーモアにあふれた講演を御覧ください。
一時間弱ですがうける事間違いなしです。
               講演:ゆがめられた関西像

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■長岡京市のシンポジウムをYOUTUBEでみる

2021-05-24 13:58:31 | 徒然

筑摩書房から出版された「明智光秀と細川ガラシャー戦国を生きた父娘の虚像と実像」は、私も精読した。
著者は次の四名である。

      井上 章一(イノウエ ショウイチ) 国際日本文化研究センター教授・所長
      呉座 勇一(ゴザ ユウイチ)         同上 助教  
      クレインス,フレデリック(Cryns,Frederik)  同上 教授
      郭 南燕(カク ナンエン) 東京大学特任教授

処が、この本が大変好評であったことから、長岡京市ではシンポジウムが開かれたと聞いた。
なにせ九州という所にすんでいると、このような有意義なシンポジウムであっても出席しがたく、まことに残念の極みである。
この度あるかたから、これがYouTubeで見ることができるとご教示いただいた。
有難い世の中だ。早速今日はこのシンポジウムを拝見することにしたが、誠に意義深い物であった。
立場を異にするお四方が、口ぶりは穏やかながら全く意見を異にしているところが誠に興味深い。
              シンポジウム「明智光秀と細川ガラシャ」・1部‐講演会
              シンポジウム「明智光秀と細川ガラシャ」・2部‐座談会
              
このこととは別に、私は井上章一教授の信奉者を自任している。
それは氏が京都大学の建築学科を卒業された建築史家であり、建築に関する著作にもふれたが、また稀有なユーモアにあふれた多岐にわたる著作のフアンでもある。
教授の著作をすべて読んでみたいという悲願が在る。
              


              

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■熊本の養蚕

2021-05-24 07:46:32 | 熊本

 21日夕方、雅子皇后は皇居・半蔵門の養蚕所に向かわれ蚕に桑の葉を与えられた。
明治以降、皇室の伝統行事となり、これは歴代皇后が担ってこられ、美智子上皇后から雅子皇后が受け継がれた。

養蚕とは蚕(かいこ)を飼い、その繭から生糸を作る作業だが、この生糸が絹糸となり見事な絹織物を生み出し、一時期日本の品質の高さが世界中の耳目を集め絹産業が隆盛をきわめた。
欠かせないのが餌となる桑(葉)を栽培することである。
私が幼いころには、水前寺駅から三菱の工場跡(現自衛隊)をつなぐ引き込み線沿いに桑畑があり、畑に忍び込んでは「桑の実」を頂戴したり、チャンバラごっこのために真っ直ぐの桑の木を頂戴したりしたものだ。

熊本の養蚕の歴史は随分古い物らしいが、肥後国誌によると推古天皇の時代に遡るという。
ただし、これを織物とする技術が入るのは、江戸時代中期の事である。志賀半左衛門なる熊本藩士の隠居後の努力の賜物である。
豊後竹田の城主であった志賀氏は大友一族であり、大友没落後は細川家の家臣となった。
その5代目半右衛門がわずか35歳で隠居し、努力した成果として、技術が未熟であった熊本の絹織物の改善がもたらせられた。
時の大奉行堀平左衛門の慧眼により、半左衛門を上京修行をさせ帰国後熊本養蚕・織絹の技術を指導けん引した。
木綿などの機織物をしていた奥方のチャレンジと努力が伴っての事である。
藩士の屋敷内なども桑の木の栽培が推進されたという。

        5、半右衛門(養子 実・富島猪兵衛二男 後・島已兮)
          志賀已兮 通称半右衛門、親氏と云ひ、致仕して島己兮と改む。又間睡堂修眞、
               藤下斎雲洞等の別号あり。藩に仕へ食禄二百五十石、番士たり。
               養蚕織機等の事を誘掖し命により上京して斯業を研究せり。
               寛政八年十二月二日没す。享年七十五。


               宝暦六年十月退隠(35歳)、采地玉名郡米野村に移住。
               宝暦十一年堀勝名に請われて織絹を差出、領内に教諭致す様仰付。
               我流故の由申上たる処、上京伝習するべく参宮の願差上、十二月出
               立、十二年六月帰国、同七月養蚕並に織絹方根に仰付。
               五人扶持銀五枚。(細川霊感公より)

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