津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■地図散歩・上通

2021-05-14 10:23:30 | 地図散歩

 平成28年11月の熊本史談会例会で「熊本城下を古地図で散歩する」という企画をした。
その時、14枚の「熊本所分絵図」を配布して、私の独断と偏見をもってご説明をしたことを思い出す。
その折の絵図を二つ折り糊付け製本をして、外出の折はリックに忍ばせている。
過日上通りに所用が有って出かけた折、この地図を取り出して散策を試みた。  

    
                                                                                                      我が家検索リスト・4 (68-4 熊本所分絵図 手取之絵図)



上通り入口の右角に熊本日日新聞+ホテル日航があるが、ピプレス広場がある当りが「貴田権内邸」そして手取り神社(旧・長安寺)の参道までの広大な敷地が「清水数馬邸」である。
綱利の生母・清高院の実家とされる家である。
参道を入ると左手前角に絵図では「手木之者」と書かれた一角がある。いわゆる「十手者」の詰所でもあったのだろうか。
参道入り口右手角は「白木五兵衛邸」続いて先の清水数馬の下屋敷が神社の前まで至っている。
境内を通らせて北側の道路へ出るとこの道がいかにも雰囲気がよい。
現在上通郵便局がある当りが「土山権太左衛門邸」その右隣りは弁護士さんの緑豊かな屋敷があるが、ここを含め国道3号の大きな通りまでが「高見権右衛門邸」である。
御子孫とは大変ご厚誼をいただいている。
郵便居の前(南側)は大きなマンション「上通セントラルハイツ」加藤清正公以来の「桜の井戸」がシンボリックに残っている。
通り丁アーケード迄「内藤勘左衛門」「宮原平右衛門」「小堀清左衛門」「関勘兵衛」「佐野権之助(借置)」「松野七蔵(借置)」などの各屋敷があった。
「松野邸」の道挟んで反対側は大きな屋敷の「谷内蔵之允邸」があった。

こんな所を地図を広げて歩いていると、興味深げに近寄ってくる人がある。
「江戸時代の絵図ですよ」と説明すると、驚いた様子だったし、ホテルの裏手でもあり外人さん迄「何事?」という形でのぞき込んできた。
同伴の若い女性が説明をされていたが、「Great !」と一声発して去って行かれた。

たったこれだけの範囲だが、小一時間を要したが、またどこかを散策したいと思っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする