津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■タイピング完了

2021-05-11 16:09:43 | 書籍・読書

 長い間ご紹介してきた「福岡県史・近世史料集‐小倉細川藩」三巻のタイピングがすべて完了しました。

             

今日すべてのタイピングが終わり、明日、最終回をUPして長い掲載が完了です。
もう、明日からタイピングしないで良いかと思うと、嬉しいやら淋しいやら複雑な思いです。
問題はその後をどうするかということで頭を悩ましています。図書館が休館していますから、資料の取得もままなりません。
当分手持ちの文書などをご紹介していこうかと考えていますが、出しっぱなしの本や資料の整理をしなければなりません。
どうなりますことやら・・・

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■街角の風景「取り残された・・ぼく」

2021-05-11 15:33:41 | 徒然

          

 東区山の神のあるマンションのフェンスに食い込んだ木が三本、残骸を晒していました。
本来の樹は伐根されたと見え姿が有りません。何の木だったのでしょうか。
そろそろ何かの方法で取ってあげたい気になりますが・・・・・

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■わらじとワラッチ

2021-05-11 13:25:39 | 徒然

 昨日の散歩は少々手抜きで3キロほどしか歩いていないので、今日は4.4㌔コースを歩く。
底が薄いドライブ用シューズがまずかった。右の足裏が痛くなり、しばらくすると左ひざ裏が痛くなり1時間以上かかってしまった。
両足を引きずりながら、昔の人は参勤交代などは草鞋で、一日10里(40㌔)程を歩いたというのだから、すごいな事だな等と考え始めた。
上り下りの坂道や、雨でぬかるんだ道や山中の石ころもあろう道を歩くのだから、草鞋の痛みも早かろう。
一日何足使ったのだろうか・・途中の海路は別として仮に二足つかったとして22・3日かかったとして40~50足になる。
多分個人の負担であったのだろうが、物入りなことである。

 草鞋は「わらじ」であるが、メキシコの山岳民族の履物で「ワラッチ」というものがある。
二つの名前が、いかにも同じに聞こえるのは偶然ではないような気がする。「草鞋」由来かもしれない。
その形状は少し違うが、この山の民はこの履物で、この地で行われる山岳マラソンで、世界のプロのランナーを交えてぶっちぎりの強さを示して上位を独占するという。

その賞金は貴重な現金収入であるという。
数十キロをこの「ワラッチ」で走り抜けるのである。身体能力も違うのだろうが、厚底シューズもここでは顔なしである。
   「走る民族、ララムリ」     

「ワラッチ」は「草鞋」のような二股の「緒」がない。「緒」は一本しかなく足首に幾重か巻き付けられている。
大変合理的な発想だそうで、最近は商品化されているものもあるようだ。
日本の「草鞋」わらから作ることにこだわり、随分長い間進化の跡が見られない。1,000㌔以上の道中を1,000人に近い大勢が往復するというのにだ。

そんなことを考えながら帰宅する中、足のゆびがからす曲がり状態になるし、ふくらはぎがつり始めた。
明日からはまたウォーキングシューズで歩きますよ・・・

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■細川小倉藩(567)寛永八年・日帳(十一月廿六日)

2021-05-11 06:33:00 | 細川小倉藩

    日帳(寛永八年十一月)廿六日

         |        (ママ)                                       
         |   廿六日  
         |
彦山本宮修繕見積 |一、彦山本宮御繕のもくろミニ遣候御大工弐人・小奉行一人、今日罷戻候、座主ゟも御状参候、御せ
リノ大工等帰ル  |  んくうの入目は、跡ニて積持せ可被越候由申候事、
長崎へ銀十六貫余 |一、井田小兵衛ニ、御銀子拾六貫目余持せ、長崎へ今日差下申候、御鉄炮衆三人差添、下申候事、
         |
幕府横目へ貸与ノ |一、城織ア様へかし被進之候御舟も、今日豊後へ差遣申候、御船頭ハ重田吉左衛門・手嶋茂太夫也、
船ヲ回漕ス    |  奉行ニハ、入江八郎兵衛被仰付、被遣候也、
         |               (長崎脱)
小倉町人借米ヲ引 |一、沢少兵衛登城にて被申候、小倉町喜右衛門と申者、御米を大分引負申ニ付、被召籠候、彼者之か
負入籠      |       (築城郡)
         |  し付米、宇留津村之久右衛門と申者、元壱石五斗かり居候間、元り取立候へと、被仰付候ニ付、
         |  申付候ヘハ、喜右衛門米をかり申たる儀無之由申候、左候ハヽ、こくらへ罷出、申わけ候へと、
         |  申付候ヘハ、はか不参候ヘハ、いかゝ候間、出し可申由申候て、元利三石ほと取立置申由、被申
         |  候也、
         |                           (氏家元高)
惣奉行松井興長邸 |一、御家老衆へ、三人共ニ御よひ候ニ付、■■佐渡殿へ参候、志摩守殿祝儀ニ付、辻堅等を申触候
ニ談合 氏家元高 |                                         (楯岡光直)
祝儀ニ辻堅ノ是非 |  而、可被成儀か、面々存寄次第ニ可有之儀■■か、又、無用かとの御談合にて候、前かと立岡殿
楯岡光直平野長氏 |      (長氏)                                           (暦)  
ノ先例アリ    |  祝儀・平野九郎右衛門祝儀ノ時、辻堅なと有之通、 殿様被 聞召届、江戸にて暦々衆之祝儀に
忠利無用トス   |  も、近年ハ辻かためなと無之、ひそかに相調られ候間、左様ニびゞ敷様ニ祝言なとを調候儀、曾
谷衛長加々山可政 |                  (衛長)(加々山主馬)
ノセザル例アリ  |  不入との 御意候ニ付、其以後、谷内蔵丞・主馬なと祝儀ニも、一人も辻堅めハ出し不申候、其
無用ト決ス    |     (徳川秀忠、この年発病、翌年1月22日死去)
         |  上、 上様御煩被成候間、公儀へ之憚かた/\ニ、辻かためなとハ不出か可然との、御談合ニ相
         |  極候事、
         | (筑紫重門室、細川幸隆女)
かねノ賄米不足ス |一、御かね様之御賄米不足之儀、御ましかし被成候事、皆共心得としてハ不罷成候、如何可有御座哉
増貸米ハ不可   |  と、御年寄衆へ申入候ヘハ、何共指図難成候、先慶徳院殿へ、佐渡殿能々可有御尋候、其上にて、
松井興長慶徳院へ |  可有御惣談旨候事、
         | (志水元五)(同恵重)
大坂蔵元ノ新規召 |一、伯州ゟ、新丞・隠岐を使ニ被差上、被申候ハ、大坂御蔵本新敷被 召立旨候、其ニ付、下津半左
立ノ命      |  衛門むこ、新左衛門と申もの慥成ものにて候、其上、手前も成申者にて候、御蔵本を望申候間、
質セシ上ニテ決メ |                                           (仁保慰英)
ントス      |  大学殿相談仕、申付候様にと被申聞候、然共、大坂之儀を、爰元ゟ居計ニハ成不申候ニ付、太兵衛
         |   (野瀬)
         |  ・吉右衛門見計、可然ものを申付、相定られ候へと申上候、江戸へも其旨御請仕候間、我等共は
         |  からいニハ不罷成由、返事仕候事、
鷹師家屋敷ノ変換 |一、御鷹師横山九介家屋敷、山本三蔵かへ被下候様ニと、御家奉行を以、書物差上候、御鷹師衆之内、
願     肩書 |  別ニ望而無之候ハヽ、遣被申候へと、かた書仕、遣申候事、

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