ある文書を読む中で、花畑邸の主要な部屋の名前が出てくるが、現在我々が確認できる数葉の絵図を見ると、特に藩主の居間の周辺が幾度となく増改築がなされていることが判る。今回は「寛政期」のものとされる絵図を以て部屋の名前を明らかにしたいと思う。
この時代の武家建築は、能舞台を中心にして考慮されている。この絵図は北を上にしている(上が坪井川、左が桜町)となる。
一番奥まったところに藩主の常の間があり、北側の「御裏」に廊下で繫げられている。
1、御居間 この絵図では6帖ほどの小さな部屋だが、「披雲閣」とも言われた。
2、御次之間
3、陽春御間 南面する庭を陽春庭という。まさに「君子は南面す」の部屋配置である。
4、氷室山御間
5、次ノ御間 この部屋は「竹の間」とも呼ばれたらしいことが、有吉家文書で見受けられる。
6、御敷舞台 元禄八年以降とされる絵図では「御座之間」と記されている。
7、歌仙御間
9、御鑓之間
10、鏡之御間
11、 私はこの部屋に「九曜の間」と朱書きしているが、その典拠が何であったのかが不明である。
12、中柱之御間 部屋中央に柱が在ることからこう呼ばれている。構造上の問題であろう。
13、佐野々御間
14、御上段 御舞台の真正面に位置し南面している。
15、鷹之御間
16、御使番詰所 藩主其の他の通り道となる部屋だが詰所というのが不思議ではある。
17、御広間
18、御用人之間
ある文書に「鹿の間」と書かれているものが有る。文章の内容から「2」の御次之間ではないかと推察しているが、裏づける史料がなく今後の問題としたい。
また、「口之間」と書かれたものが有るが、「17」御広間に隣接するいくつかの部屋が、御玄関から入った直ぐの位置にありこれがそうではないかと考えられるが、これも絵図に記載されたものが見当たらず推察の域をでない。
これらの部屋名について御存知の方は、ご教示いただければ幸いである。