津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(566)寛永八年・日帳(十一月廿四日~廿五日)

2021-05-10 10:05:00 | 細川小倉藩

    日帳(寛永八年十一月)廿四日~廿五日

         |                                       
         |   廿四日  加来二郎兵衛河本瀬兵衛
         |
         |一、修理・兵庫当番也
筑後宗庵福王十蔵 |一、筑後宗庵登城ニて被申候は、福王十蔵相煩申ニ付而、我等参候て、薬をも給させ申候様ニと、被
ヘノ調薬ニ不服ヲ |         (福王)
申ス       |  仰下候、就其、十太夫事、我等を 三斎様へ何も不知様ニ、さゝへ申候ニ付而、 三斎様午前于
         |  今悪御座候、乍去、御奉行衆ゟ被仰下儀は、 殿様ゟ被仰下と同然ニ御座候、とかく参候て、永
万一ヲ怖レ投薬ヲ |               (ママ)
拒ム       |  々ノ病者にて御座候間、けか申とも御座候ヘハ、我等儀は爰元ニ堪忍仕儀不罷成候間、我等儀ハ      
         |  御免被成候而被下候へと申候、其段、佐渡殿へも参候て、被申候へと申渡候事、
福王十蔵ノ望ニヨ |一、佐渡殿ゟ、使者を以、被仰候ハ、福王十蔵事、煩申ニ付而、筑後宗庵薬をも給見度之由、十蔵申
リ家老惣奉行等宗 |  ニ付而、我等ゟ、御奉行衆ノ三人ゟ、宗庵所へ人を被遣候処ニ、宗庵参候而申候は、福王十大夫
庵へ投薬ヲ命ズ  |
         |  事、三斎様へ参候て、御前ニて申上候は、筑後宗庵事薬ニて、事之外人をそこない申候と申ニ  
         |  付、、宗庵儀は、 三斎様事之外御前悪敷御座候、又、此度、十蔵ニ我等薬を遣候て、煩悪敷御座
         |  候ヘハ、我等めいわく仕申候、其上、長々相煩ニて御座候間、我等薬にてハよく御座有間敷と存
宗庵ノ拒否ヲ尤ト |                                       (殿脱)
ス        |  候と、宗庵申候、右之分ニ御座候而ハ、如何候と存候、宗庵申分、尤ニ存候由、佐渡被仰候、我
         |                        (衍)
         |  々も尤ニ御座候と、御返事申候、何も以参上を以、御談合可被仕と、御返事申候事、 

         |                                       
         |   廿五日  河本瀬兵衛・奥村少兵衛
         |
         |一、兵庫・助進当番也
         |                (宰)
長崎ヘノ銀子ノ荷 |一、長崎へ御銀子被遣候、御銀荷戴領ニ、歩之御小性幷井田小兵衛申付也、
宰領       |
仁保慰英妻子出帆 |一、御船頭乃美十左衛門、仁保太兵衛妻子を乗せ、今日出帆候事、
ス        |
         |一、明日、江戸へ差下申候御飛脚、寺本八左衛門与少介・黒田吉兵衛与元松宇兵衛、此両人申付候、
         |  但、常之御飛脚ニ申付也、
         |一、京之やなと申仁ゟ、伊与殿へ参小箱壱つ、大坂ゟ参候を、皆川治ア・林隠岐へ渡させ申候事、但、
         |  林■羽ニ渡、
大坂詰ノ者ノ妻子 |一、大坂ニ詰居申渡辺清兵衛儀、妻子を引■越申度之由、申来候ニ付而、川口被出候へとて、御家老
川口出切手ヲ家老 |  就参人へ差かミ遣申候也、
へ願フ      |
釘本某川棚湯治ヨ |一、釘本三太郎湯治仕、罷帰候由、歩之御小性守田少兵衛を以、被申聞候事、
リ帰着      |

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする