津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■熊本大学文学部論叢から

2021-05-18 14:11:06 | 論考

 外は早い梅雨入りで大雨だし、図書館も閉館中だし、コロナ禍で時間をもてあましていると頼みはWEBで史料をあさる事である。
今日は、熊本大学の学術リポジトリから「文学部論叢」の一覧を、総チェックしている。
その内に細川家の歴史に関するものをとりだして、ご紹介しようと思っているが・・・

 2018年の109号の三澤 純准教授の「熊本藩明治三年藩政改革の再検討ー新出の道家家文書を手がかりにー」を見付け、これが大変面白く、プリントアウトして精読している。
道家家から大学図書館に寄贈された膨大な資料は、平成27年「貴重資料展」で一部公開された。
この史料がもたらした成果は、今後明らかにされていくものと思われるが、いわゆる徳富蘆花の「肥後の維新は明治三年に来た」という文言の呪縛から解放されそうである。
蘆花のこの表現も約半年間のタイムラグがあることを、三澤准教授は指摘されている。

随分以前、「平成肥後国誌」の編者・高田Drと、史談会の若い友人N君と三人、金峰山山中の民家の敷地内にある「道家之山」のお墓を訪ねたことが在る。
なぜこんな処にと思わせる場所だが、道家家の在宅ででもあったのだろうか?
峠の茶屋から下る道筋で漱石の句碑なども拝見した。木瓜咲くや 漱石拙を守るべく とあった。

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■山吹のはなし

2021-05-18 07:13:28 | 徒然

 一昨日「山吹」のことを書いた。                       
そして、有名な句「七重八重花は咲けども山吹の蓑(実の)一つだになきぞ悲しき」を思い出した。


                   やまぶき 和算と歴史随想
 雨が降り出したなか、鷹狩りのかえりでもあろうか通りがかった武士が蓑を借ろうと苫屋に案内を乞うと、女性が八重咲の山吹の花を差し出したというものである。
武士は何のことか訳も分からずに、蓑も借れずに立ち去ったが、その意味が理解せずにいた。
後、この武士・太田道灌はこのような歌が在ることを知り、自らの無学を恥じたというのである。
苫屋の女性も大変な教養人であったようだ。

 「貧しい暮らしで、貸して差し上げる蓑の一つさえ御座いません。お恥ずかしいことです」という意であろう。

山吹には見事な種子がたくさん付く。
私は、まだ実が付く時期ではなかったのだろうと思い込んでいたが、八重山吹には実が付かないというのである。

いろいろググってみると、興味深い記事がたくさん見つかった。冥途の土産にまた一つ賢くなった?。
    ・近辺の花と実
    ・実のならない八重山吹
    ・レファレンス 宮城図書館
    ・やまぶき 和算と歴史随想 やまぶき
    ・日々是好日「太田道灌 蓑を借るの図に題す」 

                      証拠写真 本日午後撮影  

コメント (2)
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