日帳(寛永八年十一月)十九日~廿一日
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| 十九日 加来二郎兵衛・河本瀬兵衛
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|一、兵庫・助進当番也
|一、中津へ、江戸ゟ御飛脚弐人、直ニ参候由にて、今朝中津ゟ之御返書を持来候、江戸を、今月八日
天千代麻疹快気ノ | (天千代、細川興孝)元和三年正月十三日生れ・十四歳
報 | ニ立候由申候、様子ハ 御天様はしかを被成候へ共、すきと御快気被成との御注進ノ御飛脚也、
| (吉兵衛)
| 内壱人ハ竹内与角左衛門と申候、壱人ハ国友半右衛門与角丞と申もの也、
| (秋沙鴨)
鷹匠捉飼シ鴨等ヲ |一、八喜吉右衛門登城ニて被申候ハ、御鷹とりかい申由にて、鴨十七・からす弐つ・あいさ壱つ持参
持参ス | 被申候間、足立與兵衛ニ渡させ申候、
料理人頭へ渡ス |
|一、江戸ゟ 三斎様へ被進之候御飛脚弐人、中津へすくニ乗せ参候小早之御船頭田中作兵衛、今日罷
| 戻候由にて、登城仕候、大坂衆ゟノ状持来候也、
中津口門番死跡当 |一、中津口御門番、可児清左衛門病死ニ付、跡替之儀、当分得 御諚申間、御鉄炮衆之内、伊藤金
分鉄炮足軽二人ニ | 左衛門与今永弥左衛門尉・佐分利兵太夫与吉田久左衛門尉、此両人申付、小頭ノ恵良吉右衛門尉
命ズ | を相添、右両人差遣候事、
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| 廿日 奥村少兵衛・加来二郎兵衛
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|一、助進・修理当番也
|一、桜井又兵衛病死仕由、野瀬少左衛門申候事、
岩男嘉入軒舅危篤 |一、岩男嘉入しうと、以之外相煩申候ニ付、主女房をよひニ参候、女ハ切手かれこれ六ケ敷御座候間、
ニ見舞願 | 御番ノすきニ、見廻ニ参度由申ニ付、参候へと申渡候事、
中津口門番死去ニ |一、中津口、可児清左衛門預ノ御矢蔵上申度由、次太右衛門ゟ被申上ニ付、森六左衛門・波多理右衛
ヨリ矢倉ヲ請取 | 門、両人うけ取申候へと、切帋遣候事、
徳川秀忠宇佐宮成 |一、相国様ゟ、宇佐宮成掃アニ銀子拾枚被下候を、江戸にて請取、御用ニ遣候間、爰元にて掃アへハ
掃部ニ銀子ヲ下賜 | (幸長)
ス | 可相渡由、野田小左衛門ゟ被申越候ニ付、被得其意、可被相渡由、豊岡甚丞をよひ、直ニ申渡候事、
| (扌ニ勾・抱)
江戸新参ノ家臣等 |一、江戸にて、新参ニ被召■衆之 御印写、幷御供中への御かし銀之帳一冊参候を、豊岡甚丞ニ渡候
ヘノ御印写 | 事、
江戸詰ヘノ貸銀帳 |
ヲ惣積奉行へ渡ス |
| 道倫 ( 衍 )
銀丸ノ硯無用故銀 |一、銀丸御硯壱つ、三、四年前ニ御奉行所ニ〇被預置候を、今日今日直ニ道倫ニ渡候ヘハ、もはや無
奉行へ渡ス | 御用候間、御銀奉行衆へ可被相渡由、申渡候て、わたさせ申事、
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| 廿一日 加来二郎兵衛・河本瀬兵衛
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|一、助進・修理当番也
|一、京ゟ、藤崎喜八郎請取被参候御物、喜八郎知行所へ被参候ニ付而、御船頭三宅新介ニ渡させ申候
| 事、
筑前ヨリノ走人ヲ |一、筑前ゟ参候八十郎と申もの、人留之者召連参候を、則、御家老衆へ彼者召連参候へと、申渡候処
家臣相対ニテ召抱 | ニ、宇野理兵衛拘申度候由申候て、御家老衆申候ヘハ、其方相対ニて召置候へと、被仰由にて、
ウ | 理兵衛拘申候也、