津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■白山吹、間違いなし

2021-05-16 16:44:05 | 先祖附

 散歩の途中で、広い農園をお持ちの花畑に可憐な白い花を見付けた。白い山吹だ・・・(自信がないが?)
葉っぱはまごう事なき山吹の葉である。花は一・二輪ほどしか見えないが、種子がたくさんついている。
四つが一塊になった特徴的なものである。写真左端の中ほどからやや上に種が見える。
帰ってWEBで調べてみると、私の勘も捨てたものではなかった。種子の形状がぴったり・・・どうやら花の季節は終わったようだ。
写真はすごい風の中で揺れ動くのを、連写で取ったものの中からえらんだものです。

           

          

 WEBで「白山吹」と検索したら、ウイキペディアにある写真が三点、右上に紹介されている。
実はいま一つ、白い可憐な花をつけた野草、15センチほどの高さのものを数株抜いて持ち帰ったのだ。
名前なんてとんと判らない。
偶然とは恐ろしいもので、「白山吹」の下に四点の別の植物が写真で紹介されており、その右端の「ミヤマセンキュウ」が全くよく似ていて驚いてしまった。
葉の形もよく似ているが、説明によると高山植物らしく背が高くなり花も大きいらしい。違うか?
ヒントにはなりそうではある。

            

                                   おまけ・・てんとう虫が二匹、親子か?    

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■地図散歩・八代

2021-05-16 08:34:25 | 地図散歩

 随分以前の事だが、「八代御附衆」のリストをご紹介したことがある。

■八代御城附衆(1)

■八代御城附衆(2)

■八代城御附衆(3)

処が御約束の、「肥陽諸士鑑」を調べて、八代御附衆を引っ張り出す作業をまだ終えていない。
これは御約束したことだから、近々チャレンジしてご報告したいと思っている。

(1)については、写真でご紹介する松井文庫所蔵の「八代町図」があり、諸家の場所が明示されており大変有難い。
(2)(3)については、このような資料が存在するのかどうかさえ、よくわからないでいる。一度八代にお邪魔して伺ってみたいと考えている。

 熊本史談会の会員のK氏のお宅もそうだし、物故会員のS氏のお宅も八代御附衆であったとお聞きした。
K氏のお宅の場所はよくわからないが、S氏のお宅はご自身も住んでおられたらしく場所ははっきりしている。
彼にいろいろ聞く間もなく病の床に就かれてコロナ禍の中御見舞いも出来ないままお亡くなりになり、お別れした。
私も少々お手伝いをしたが、S氏は10年以上にわたり見事なご先祖様の調査をされて「S家累代の歴史」を物にされた。
その最後の取材に八代を訪ねるといわれるから、同行し、お宅が在った場所などをみてまわった。
1,000坪ほどの大きな屋敷であったらしい。

 現在残る八代城も見事なものだが、これは本丸のみであり、三斎が入城した八代城は二の丸・三の丸・北ノ丸がある、広大な城であった。
三斎の死後筆頭家老・松井氏が預かることになったから、松井家家臣と「八代城御附衆」と呼ばれる人たちが、混在して侍町を構成した。
当時の大手門は、現在の松井神社の大鳥居がある当りである。クランク状になっている正面の大通りは昔も今も変わらない。
大手門前の大きな屋敷は、松井家・家司の山本氏、そして「八代城御附衆」の備頭・高見氏のお宅である。
二家の御子孫ともに、ご厚誼をいただいているが、100石取の当家にとっては過分なことではある。

 車の免許を返上してから、八代の地は大いに遠く感じられるようになった。
ゆっくり、この地図をもって八代の街を散策したいと思っているが、これも秋風がそよぐ頃を待たねばならない。

   

 

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