津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■紫陽花

2021-05-27 14:32:30 | 徒然

 今日の未明は随分雨が降ったらしい。奥方は雨の音で眠れなかったと言っていたが、私はめずらしく熟睡して全く気が付かなかった。
去年大水害を起こした県南の河川が心配されるが、どうやら雨も上がりそうな気配で一安心である。
熊本市内は日も照り出し気温も上がりそうだ。
昨日は病院に薬をもらいにゆき、少々遠回りをして帰り、散歩をしたことにしたが、少々距離不足の感じである。
少々血圧が高めで安定しない。歩いていても体がふらつくし、最長コースの4.4㌔を歩くとこれが坂道も多く、天気が良い日はとても歩けない。
さて今日はどこを歩こうかと思案しながら外へ出る。水無川は水かさを増して音を立てて流れて居る。
何時もの路地を進むと、額紫陽花が雨に打たれていて誠にすがすがしい。
そうだ、紫陽花の写真を撮影して回ろうと、住宅街に入り込む。一つ撮影しては次の角まで進んで先を見廻す。
花が大輪だからすぐ目に付くし、その場所へ進んで撮影してまた同じことを繰り返し、思わず距離を歩いたように思う。
紫陽花といってもいろんな種類が有り、色があって様々だが、いずれもやはり雨が似合うようだ。

                紫陽花や白よりいでし浅みどり  渡辺水巴 

           

                                     トリミングがバラバラになってしまいました。

                           

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■地図散歩「竹部」界隈

2021-05-27 09:41:59 | 地図散歩

 昨日ご紹介した坪井七曲りを東に進むと「菊池往還」へ出る。このあたりは藩政時代の「竹部」という地名であったが、現在では存在しない。
古くは建部とかき、磐井の乱(527)のおり肥後の火の君をけん制するために軍隊を派遣した其地であるといわれる。由緒ある地名である。
南は豊後街道(国道57号線)に面し、藩政期には街道沿いは鉄炮の者が住まいして、小さな道が迷路のようにあった。
現在では随分道路も整備されたようだが、これまた奥へ入ると七曲り同様、車の運転に自信がない方は立ち往生しなければならない。
中に入り込むと突然火除け地ででもあったのか広い道があらわれ驚かされる。今日ご紹介する絵図では「小枩(松)原」と記されているが、松の木が植えられていたのだろうか。
この辺りにになると下級武士の住まいが立ち並び、わが先祖の住まいもここにあった。■向こう三軒両となり(二)
このあたりの散策には、地図が必需品となる。但絵図に見える泰勝寺への道などは、現在は消滅している。
黒髪小学校・濟々黌高校・熊本大学などの校地、久本寺などの取り囲まれた一角でと、菊池往還を挟んだ反対側の地区で、現在の地名でいうと、黒髪1・2丁目、坪井4丁目当りである。
西の方では菊池往還の「中三軒丁」につながっているが、「出屋敷」の名前が見られる。
小路名が書かれており、大変貴重な古地図である。

      

コメント (2)
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