〇玄猪御礼之式 玄猪とは
一玄猪御祝被仰出候段御用人より書付御用番江相達候付佐弐役江相渡候事
玄猪の御祝い仰出されること、御用人より書付御用番へ相達しの事に付、佐弐役へ渡す事
一夕七半時揃二而麻上下着仕之事
夕七つ半(17時)時揃にて麻裃着仕る事
但提灯なし二詰間江相揃候得者宜候事
但提灯なしに詰間へ揃えば宜しき事
一着服者兼房尤上下其餘之色ニて茂不苦候事
着服は兼房(憲法小紋)尤上下其の餘の色にても苦からぬ事
一御小姓頭より案内有之御一門ニ三家より進上之御餅有之候事
御小姓頭より案内有り、御一門に三家より進上の御餅ある事
一同席之御禮ハ鹿之御間ニ而被為受候付入口ニ御屏風かこひ出来御間取諸事年始之通候事
同席の御禮は鹿の御間にて受けなされるに付、入口に御屏風かこひ出来、御間取など諸事年始の通りの事
一御出座被為候上御小姓頭より猶知らせ有之候間御一門初一人宛帯劒ニ而罷出候事
○末之附紙爰ニ附
御出座為されたる上、御小姓頭より知らせ有れば、御一門初一人宛帯劒にて罷り出る事
○末の附紙爰に附
一御間入口ニ而御辞儀無之御向通より直ニ御三方之元ニ進出御餅を取頂戴之仕直ニ右江開引取歌仙御間元之坐ニ而御餅紙
ニ包懐中夫より九曜之御間御椽側江且々参例之通御一門衆始列座之事
御間入口にて御辞儀は無く、御向通より直に御三方の元に進み出御餅を取りこれを頂戴仕、直に右へ開き引取り、歌仙の御間元の坐にて御餅を紙
に包み懐中し、夫より九曜の御間御椽側へ且々参り例の通り御一門衆始め列座の事
一右之通り御一門衆始九曜之御間江下り候ヘハ御上段御間取仕直しニ相成候併詰間へ引取之間合無之候事
右の通り御一門衆始め九曜の御間へ下れば、御上段御間取仕直しに成り、併詰間へ引取の間合は無い事
一御出坐之時例之通平伏仕御一門衆御三方持出候得者手を揚候事
但御向詰等例之通候事
右御禮者御物頭列以上ニて候事
御出坐の時例の通り平伏し、御一門衆御三方を持ち出せば、手を揚げる事
但御向詰等例の通りの事
右御禮は御物頭列以上の事
一夫より御次御礼相始同席者居続ニ座着御一門衆者御次御礼ニハ列座無之候尤退去之御間合無之候へハ居続ニ茂被致由之
事
夫より御次御礼が始り、同席は居続けに座着、御一門衆は御次御礼には列座無く、尤退去の御間合無ければ居続にも致され由の事
一夫より御出座之時諸事例之通候事
付紙
文化五年御在国之節不被遊御出座候付左之通相究候
夫より御出座の時、諸事例の通りの事
付紙 文化五年御在国の節、御出座遊ばされずに付、左の通り相究らること
一御一門衆始御家老御中老迄中柱之御間南之方江列座いたし謁御用人之上御三方一ツ九曜之御間御上段之三方より三畳目
ニ差置候一人宛罷出順之頂戴直ニ南之側之列座之所ニ直り直御三方二上より四畳目二閣候上御備頭御留守居大頭両人完
罷出御餅頂戴御椽頬之様退去各御三方取入候所ニ而御備頭御留守居大頭御礼口より罷出北之方ニ列座相成猶又御三宝五
ツ上より差置候上御役付着座以上五人宛繰出候頂戴御椽頬之様ニ退出之事
御一門衆始御家老・御中老迄中柱の御間南之方へ列座いたし謁、御用人の上御三方一つ九曜の御間御上段の三方より三畳目に差置かれ、一人宛罷り
出順に之を頂戴し、直に南の側の列座の所に直り、直御三方に上より四畳目に閣の上、御備頭・御留守居大頭両人あて罷り出、御餅頂戴御椽頬の様
退去し、各御三方取入れたる所にて、御備頭・御留守居大頭御礼口より罷り出、北の方に列座に成り猶又御三宝五ツ上より差置かる上、御役付着座
以上五人宛繰り出して頂戴し御椽頬の様に退出の事
口之稜々付札
○此儀本行之通候處近年不図脱劒ニ相成御向通より二畳目御礼席にて御辞儀仕方ニ相成候處以前茂本行之通候上玄猪
ハ於公儀茂御辞儀なし二御餅頂戴有之よしニ付御年限中旧被仰付候節帯劒御辞儀なしニ相成度其節申談可奉伺候事
文政三年玄猪御礼之節御在国之時分付紙之通奉窺之処矢張脱劒ニて御礼申上候様被仰出候間以後脱劒ニ而御禮
申上候之方ニ申談其通相決候事
口之稜々付札
○此儀は本行の通りの處、近年図らずも脱劒に成り、御向通より二畳目御礼席にて御辞儀仕るように成りたる處、以前も本行の通りの上、玄猪
は公儀においても御辞儀なしに御餅頂戴有るのよしに付、御年限中、旧仰付られたる節帯劒御辞儀なしに成り、其節申し談じ伺いたてまつる事
文政三年玄猪御礼の節御在国の時分、付紙の通り窺たてまつる処矢張脱劒にて御礼申上げる様仰せ出され、以後脱劒にて御禮申上げる方に
申し談じ其通りに決る事
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【参考】上記「御一門ニ三家より進上之御餅有之」 は下記のことに依り慣例化されたか
(前略)有吉将監立言は京都御屋敷御長屋ニ居候に、御出陳玄猪の日にて、立言餅を祝ひ立出ける時、妻心付、殿にも御祝可然と申て急なる折節故、器物も不有合、山折敷の有けるに乗せ持出候へは、藤孝君はや御馬に召れ候所に、玄猪の餅御祝被成候へと云て差上けれは、御出馬の折節、玄猪は能心付也と被仰馬上にて御祝、目出度御帰陳可被成と仰候、即御勝利なりけれは、御帰陳の上にても猶御賞美被成候、後々まて山折敷にて玄猪の餅差上候事は、段々御領知も重なり、旁以御吉例に被思召候に付、向後無懈怠差上候へとの御意有之候故と (綿考輯録第一巻p57)