序
文星にして、その詩歌よりも、その人間の方に一しほ含蓄多分の者がある。古今東
西に例は不尠とおもふが、日本では、前の西行法師、後の細川幽齋なども此の種に属
する者であらう。今日の語を用ゐれば、幽齋は戰國時代最高の「文化人」であつた。
彼は學問と藝術とを生活化した、眞個の文化人であった。亂世の武門に生れ、治國平
天下を理念とした彼が、武を用ゐたのは當前だが、武を用ゐるにも必ずその所を考へ
た。おのれの利益のために私闘を試みた形蹟は見えない。信長に仕へ、秀吉に與み
し、家康を援けたのは、無節操にあらずして、斯くすることが即ち天下に和平をもた
らす所以と判斷した爲であつた。
「幽齋大居士」は今年九月以降の週刊朝日に連載した物語やうの散文であり、「歌
仙幽齋」は、昭和十九年執筆の歌論的研究である。兩篇、性質は甚しく異なるけれど
も、併せて讀んでいただくならば、此の巨人の全貌が浮ぶであらうとい愚考する。
昭和二十年十二月
川田 順