私がブログで初めて「コロナ」という言葉を使ったのは、去年の2月15日である。
史談会の会場で女性会員のA様が、途中で席を立たれて会場を出られた。
会の終わり掛けに会場に戻られて「咳が出そうで外に出ておりました」といわれた。
私は「うかつに咳もできませんね」と返したことをよくおぼえている。
それから一年六か月あまりが過ぎた。全く終息の気配が見えない。ワクチン注射はしたものの、半年ももたないという話も聞くし、不安が付きまとう。
家にこもることにもさすがに疲れ果てている。唯一熊本史談会の会合だけは、皆勤賞もので喜び勇んで出かけているが、最近A様のお顔が見えず心配している。
外出はわずかに朝散歩で4・50分人気にないルートを選んで歩くくらいの事だが、今の時期はさすがにマスクをして歩いていると、息苦しくなって仕方がない。
そこで私は、マスクの両方の輪っかを腕に通して持ち歩いている。人が来たら慌てて装着するという按配だ。
しかし日本人はなんと勤勉なことだろうと思うが、人が全然いないところや、自分一人しか載っていない車のドライバーが、ちゃんとマスクをしているのには驚かされる。
今ではスタンダード・アイテムとなった「マスク」も、ひところは全く手に入らなかったが、最近ではすごい数のいろんなメーカーのものがコンビニなどでも所狭しと並んでいる。
「安倍のマスク」のあの無駄遣いもすっかり忘れられてしまった。
この忘れられた安倍のマスクのように、スタンダード・アイテムとなった「マスク」そのものが日常を占領する日がなくなる事をただただ願うのみだが、現状なんと無力感にさいなまれることか?
衆議院議員の任期満了は仕方ないことだが、政局が動き始めた中、後手/\の感が否めないコロナ対策はどうなっていくのか?
コロナも政局も大波乱が起きそうな気配である。