津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■次の展開として

2021-09-28 19:32:00 | 徒然

 昨日、一昨日とシリーズでご紹介してきた「有吉家文書解説」と「丹後史料」の二つが終了して、さて跡をどうしようかという思いが頭の中に充満している。
10月に成れば図書館も自由に使用できるかと思うが、コロナ禍の中では資料の収集が出来ずに誠に難儀した。
手持ちの資料でしのいできたが、限界の感が強い。しばらくは昭和21年に発刊された川田順氏の著作「細川幽齋」をご紹介しようと考えている。
戦後の大変な時期に発刊されたこの著作は、小泉八雲に師事したという作家・実業家・歌人としての著者の高邁な理想に燃えた作品だと理解している。物資不足の中で質の悪い紙の使用や、活字の不足なのかまたは活字を拾う植字工の不足なのか、誤字脱字などが見受けられるが、わかる範囲で修正を加えながらご紹介していこうと考えている。
ご覧いただければ幸いである。

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■綱吉、甲府中納言を養子とす

2021-09-28 07:19:11 | オークション

                 細川綱利「泰勝寺侍者宛 十二月五日書状」

                                   

 ヤフーオークションに出品されている細川綱利の書状である。
ちょっと興味ある内容である。つまり将軍綱吉が甲府中納言(綱豊)を養子に迎えたことが記されている。

綱吉の兄・綱重の子だが、生母が身分の低い女中であったため一時期外に出されている。
しかしまさにここに記されている日付(宝永元年)に西の丸に入ったとされる。その日を以て正式に継嗣となされたのであろう。のちに6代将軍となる家宣その人である。
この日付からすると江戸から泰勝寺に宛てたことがうかがえる。家老に宛てれば済むことだと思うが、泰勝寺に宛てたというのはなぜだろうかと首をかしげざるを得ない。

家宣の人生は波乱万丈ともいえるが、将軍職にあったのはわずか三年、家宣の死去に伴い嫡子・家継が6歳で7代将軍となったが在任は三年である。家宣と家継の治世の時期を特に「正徳の治」というが、これに伴い8代将軍として吉宗が登場することになる。
綱吉が死に吉宗が登場するまでわずか6年余であることに驚かされる。


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