津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■丹後舊事記・巻之五から(7)「田邊城攻の事」(三)

2021-09-15 10:01:53 | 史料

  佐方                                   細川幽齋
 吉右衛門は久敷玄旨の側に奉仕して
歌道を學び耳底記にも其名顯はれたる者なれば此籠城に般々探有しや又監物が門外へ出る時久下太郎助
に先立ち馳出る、此久下は設樂庄市場の生れにて高濱の城主逸見駿河守が一族なり天正の頃市場城に籠り
駿河戰死の後田邊の田家に忍び有けるが古主の仇なる細川に從ひ此時籠城せしとかや。斯て孝和諸兵に力
を附べくや思ひけん攻軍の手竝は能く知たりわが鑓一筋を以敵戎を近なひけん事は大圑扇を以蠅を追如く
ならんと云て後ろを見れば紺屋の内に當り麻野吉左衛門・篠山五右衛門あり、孝和兩人の方へ軍使をはせ此
所へ來て敵を防ぐべしと云送りければ麻野吉左衛門走來り此所を討取べしと雖も孝和更に同心せず然る處
に敵むら/\に進み來るを孝和鐵砲を以先に進みたる敵を討たんとするに立滅せしかば鑓を捕て彼敵に立
向ふ適時佐方庄左衛門横合より鐵砲を以彼敵を打破らんとす、然れども敵兵續て馳せ來りて孝和脇差を抜
て敵兵三人手の下に打潰す彼三刀谷が指たる刀は高麗蔚山に於て孝和戰功有し時宰相秀元より賜りたる文
宗の銘刀なり。孝和に勵まされて身命を惜まず防ぎければ敵此所を引取て町屋の屋根へ上り暫く鐵砲を打
にけり監物以下の城兵土手に伏而鐵砲を避る時に佐方治郎助鐵砲を以どてへ上り敵一人を打取玄旨の家士
突半助に向てあれ見よといへば半助鐵砲を以敵を打つぶす佐方見たるかいへば又治郎助敵一人討倒す半
助又鐵砲を取て立上らんとする時の鐵砲に當て命を損す、やゝ有て敵又寄來るべき様子により孝和玄旨
家士杉山勘之進に向ふて我等が鑓の柄長ければ足下の鑓と取替て得させよといふ勘之進同心せず、我等手
なれたる鑓なれば御免有べしと返言せしに孝和が曰く足下其鑓にて高名を顯し敵の血を鑓に付すは後日に
男を立させ間敷といふ所に鐵砲に當て死す孝和勘之進が鑓を取て其死骸を下人に渡す、かゝる所に藤掛三
河守家士小石新兵衛先途して孝和と鑓を合す數度戰ひて小石既に引色になる、然れども大勢相續て寄來る
により孝和主從玄旨の軍士等命を捨てふせげども大敵なれば終に砦を攻破られて引退く、孝和此時まで返
し合せて敵を防ぐ折節大瀬堪へて畷の上により上りけ
れば敵是にためらふ時油語彦兵衛味方に下知して敵
を折返す。孝和此時かぶと傾きければぬぎ捨んと思ひけれども後難を思ひ鑓に取添て挽旋しけるに幽齋櫓
より是を見て孝和退くに苦勞して退くと見えたり助よと有るより貫井藤之助芭蓮の大指物にて馳來りしか
ば敵是を見て彌攻口を引退く、

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■有吉家文書解説‐「年中行事抜粋」(四十二)時習館不時被為入高覧之式

2021-09-15 06:06:14 | 有吉家文書

   〇時習館不時被為入高覧之式
     時習館に不時に御入りなされ高覧の式

一御刻限一ト時前例之所江罷出候事
    但大御目附も例之通一所ニ罷出候事三家嫡子見習ニ被罷出面々も出席不苦候事
 御刻限一時(2時間)前に例の所へ罷り出る事
    但大御目附も例の通り一所に罷り出る事、三家嫡子・見習に罷出らる面々も出席苦しからぬ事
一致出席候得者御奉行并助教学校御目附も詰間へ出方有之候事
    但御立後も右同断之事
 出席いたせば御奉行并助教・学校御目附も詰間へ出方有る事
    但御立(御帰り)後も右同断の事
一名付之手控者不時御入之節ハ差出不相成候事
    御注進左之通
    一御供廻  一御殿御立
 名付の手控は不時御入の節は差出に成らぬ事
    御注進左之通
    一御供廻  一御殿御立
一東門より被為入御出迎例之通御居間北御敷出ニ罷出候事
    御奉行助教学校目附御中門外例之所ニ罷出候事
 東門よりお入なされ御出迎は例の通り、御居間北御敷出に罷り出る事
    御奉行・助教・学校目附、御中門外例の所に罷り出る事
一拝聞之諸生者御入前講堂東之御入側西向ニ幾重も繰付有之候軽輩陪臣南之入側北向ニ例之所へ繰付有之候脱劒之事
 右軽輩陪臣之儀定日之講尺ニ御入之節者兼而講堂出席御免之向ニハ御目通不苦候處高覧ト申ハ諸生之学業御試ニ付軽輩
 陪丞相聞之儀何程ニ可有之哉と
学校御目附江問合候處是又前条是輩ハ不苦由申来候後年疑惑茂可有之記置候事
 拝聞の諸生は御入り前に講堂東の御入側に西向に幾重も繰付有ること、軽輩・陪臣南の入側北向に例の所へ繰付あること、脱劒の事
 右軽輩・陪臣のこと定日の講釈に御入の節は兼ねて講堂出席御免の向には御目通り苦しからぬ處、高覧は諸生の学業御試しに付、軽輩・陪丞相聞の
 こと何程に有るべき哉と、学校御目附へ問合せの處、是又前条是輩は苦からず由申し来ること、後年疑惑も有るべく記置く事

    訓導句読師ハ東ノ中之御入側諸生之前ニ座着今日之説教人以下ハ箱段下之方ニ繰付有之訓導句読師習書師各請
    前々々より繰出有之候事

    御奉行学校目附者西外之御入側訓導之上ニ四本目之柱之元ニ座着之事
       但訓導句読師習書御入替ハ例之通候事
    訓導・句読師は東の中の御入側諸生の前に座着、今日の説教人以下は箱段下の方に繰付有り、訓導・句読師・習書師各請前々々より繰出し
     有る事 
御奉行・学校目附は西外の御入側訓導の上に四本目の柱の元に座着の事
       但訓導・句読師・習書御入替は例の通の事
一被為入候上例之通御椽を廻り講堂ニ出西中之御入側御次入口二枚屏風外御屏風を左ニ取東向ニ座着大御目附者右手少シ
 引下り座着之事
 お入りなされたる上、例の通り御椽を廻り講堂に出、西中の御入側御次入口二枚屏風外御屏風を左に取東向に座着、大御目附は右手少し引下り座着
 の事

一御見臺ハ南より横畳五枚目一間半之所江始より出有之候事
 御見臺は南より横畳五枚目一間半の所へ始めより出し之ある事

     東京国立博物館 - コレクション 名品ギャラリー 館蔵品一覧 秋草蒔絵見 ... 
一御襖明立ニ大御目附御向詰有之候堂中御覧所より壱間計南ニ寄座着之事
 御襖明け立てに大御目附御向詰あれば、堂中御覧所より壱間計り南に寄り座着の事
一御襖明候ヘハ平伏説教人出懸候得者手を揚候事
    但御襖ハ南之方迄明東之方ハ明不申候得共是ハ臨時御模様違可申事
 御襖明けられれば候平伏、説教人出懸ければ手を揚げる事
    但御襖は南の方迄明け、東の方は明けぬこと、是は臨時御模様違う可き事
一上江者御控御本有之候事
    但同席之方ヘハ控本無之候事
 上(殿様)へは御控の御本がこれ有る事
    但同席(家老)方ヘは控本は無い事
一高覧之次第者説教臨時読一部読背誦席書ニて候事
    説教人娘一人宛繰出ニ相成堂中ニ入御詞儀夫より脱劒ニて御見臺之元江罷出候尤背誦席者二人組三人組ニ而罷出
    候事

       但軽輩陪丞ハ無御辞儀無刀ニ而罷出候事
 高覧の次第は説教臨時読一部読背誦席書である事
    説教人娘(?)一人宛繰出しに成り、堂中に入り御詞のこと、夫より脱劒にて御見臺の元へ罷出ること、尤背誦席は二人組・三人組にて罷り
    出る事

       但軽輩・陪丞は御辞儀なし刀なしにて罷出る事
一一部読相済御襖建此時平伏夫より御見臺入書道道具取出ニ相成尤詰間へ参候間合ハ無之居続候事
 一部読が済み御襖建て、此時平伏、夫より御見臺入り書道道具取出に成り、尤詰間へ参る間合は無く居続ける事
一夫より御向詰座着ニ相成猶襖明候間前条之通ニ候事
    席書之人数ニ応し候介添之面々一同ニ罷出毛氈之頭ノ方ニ座着此出様説経人之通ニ候席書出来之上介添より段々
    鏡板之上ニ載候事

       但以来者両側ニ御屏風立且々張付ニ相成候儀も有之候事
 夫より御向詰座着に成り、猶襖明けらること前条の通りの事
    席書の人数に応し介添之面々一同に罷り出、毛氈の頭の方に座着、此出様説経人の通りのこと、席書出来の上介添より段々鏡板の上に載せる
    事

       但以来は両側に御屏風立て、且々張付に成ることも之ある事
一席書等相済御襖立平伏之事
 席書等済めば御襖立平伏の事
一召出有無者其節之御模様ニ応候尤被召出候得者例之通罷出候事
 召出の有無は其節の御模様に応じること、尤召出されれば例の通り罷り出る事
一御中入有無茂右同断之事
 御中入の有無も右同断の事
一夫より被遊御立候付御椽を廻御敷出例之所江罷出候事
 夫より御立ち(御帰り)あそばされるに付、御椽を廻り御敷出例の所へ罷り出る事
一御立跡より直ニ出勤奉伺御機嫌候
    但刻限次第ニハ直ニ引取候儀も有之候事
 御立ちの跡より直に出勤、御機嫌うかがいたてまつる事
    但刻限次第には直に引取ることも之ある事

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