津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■丹後舊事記・巻之五から(3)「慶長五年八月廿二日竹ヶ鼻城攻之事」(一)

2021-09-11 18:12:36 | 先祖附

   「慶長五年八月廿二日竹ヶ鼻城攻之事」(一)

 八月廿二日卯刻濃州竹ヶ鼻城責太平記同軍記に曰く先陣は福島二陣は長岡次に京極黒田加藤藤堂井伊本
多等なり又竹ヶ鼻の城主杉山五郎右衛門毛利掃部岐阜より加勢梶川三十郎花村半右衛門尾越川の向に芝居
を築柵を振り弓鐵砲降當句のとし打立たり殊更此所へ砂入にして築上たる堤なれば馬入足場悪敷進みがた
記ゆへ東軍川下へさがり加賀野口村の邊より乘越けり。杉浦毛利梶川花村命をなげうつて戰ひけれども防
ぐべき術や捨りけん、竹ヶ鼻へ引取て本丸には杉浦、二の丸には毛利梶川花村楯籠るといへども小勢の
事なれば攻亡すとても安けれども福島毛利と親敷故降参有て然るべしと御前の義は聊気遣ひあるべからず
能に取なかさん、殊に本領異議有る間敷よし悉く云入るに依而無事を相調べて城を明渡され然るべしと色
々に進めけれども杉浦曾て承引せず義心金鐵の如くにして辰の刻の初めより申の刻の終迄入替々々相戰ふ
に遂に城に火をかけ杉浦自害せしかば殘る軍兵悉く殉死す、中にも主人の死骸を取かこみ七人自害とげに
けり。主從の最後の體敵味方感歎せしとなり。
 永井増補宮津府志曰く關ヶ原合戰手柄の人の事は慶長五年八月廿二日濃州岐阜の城攻第一なり。此軍羽
柴左衛門正則羽柴越中守忠興同玄蕃頭興元加藤左馬介嘉明此人々本城の追手へ向ひけるが瑞立寺の砦没落
しければ惣構に攻かゝる、先京町口津田藤十郎を以て羽柴忠興手の者に馳かゝるべしと下知せられければ
舎弟玄蕃頭興元手勢を勵して突ける軍士爭進む中にも沼田幸兵衛(此人一色の家士なりけるが長岡に随ひ後
に長岡勘解由と號關ヶ原軍記に沼田小兵衛とあり)一番に鑓を合わせる、二番に荒木佐助(一色の頃新治の城主)
此所に於て鑓下の攻列なり、其外忠興の軍士牧左馬進(一色の頃大井の城主なり左近進の嫡男といふ)
香山勝右衛門(熊野の日村岳の城主後改隼人と號す)西郡大炊・岡村半左衛門(此人宇川庄上野城主にて一色の
臣なり)中嶋左近・中瀬兵衛(一色家の部臣新治の城主)等首を取越兵坂下の戰に利を失ひ近手の七曲やまへ引
退く、此高名の人々敵も味方も一統にうらやまぬ者はなかりける、斯て城兵京町口の固めの大將軍津田藤
三郎元房は今度も馬を乘廻して士卒を下知する忠興の軍士澤田次郎助(玄蕃頭軍士なり)馬を馳よせ戰ひ
けるが双方打物の達者と聞えし勇士なれば半時許の戰ひ何れとも勝負付かざりけり、兩士太刀を抜捨て馬
上に組て落けるが七八度許りもはね返しけるを津田遂に澤田を取て押へける澤田は下になりながら藤三郎
をしたゝかに突けれども津田三刀許り突ながら澤田が首を取りてそれを若原九右衛門に持せ其身は馬にて
七曲山へ引退く、長岡興元是を見て鑓を以て突たる手負の主人を討せしとて津田が兵士等四人取て歸し興
元をさゝへければ津田やう/\からき場を七曲山へ遁退ける(此頃興元は吉原庄峯山の城主なり澤田次郎助は興元の老
臣出羽守が子なり)柳田五郎助・野尻隠岐(一色家の部將野間庄の城主)田中助八(河邊周枳の間木積山籠城
の人)有吉與太郎(後改長岡内膳と號有吉玄蕃子なり)十八にて初陣成が一の木戸を押込組打の高名す。

                   つづく

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■熊本史談会9月例会のご案内

2021-09-11 08:05:45 | 熊本史談会

 熊本史談会の9月例会におきましては、西南の役後教育の機会に恵まれない農民の為に開校され、昭和20年に閉校するまでの間、約7,000人の有為の生徒を世に送り出した「合志義塾」について、創始者のご親族で当会会員の工藤四朗氏から下記のごとくお話をお聞きすることに致しました。
この機会に先人の偉大な業績に触れられては如何でしょうか。多くの皆様のご参加をお待ち致します。

                                        熊本史談会

                     

       日時:令和3年9月18日(土曜日)
            AM10:00~11:30(90分)
       場所:熊本市民会館・第7会議室
       演題:「合志義塾」の根底に流れる心ー土性骨の座った人間を育てるー
       講師:当会会員・工藤四朗氏(合志義塾創始者・工藤左一氏及び平田一十氏の親族)


       参加自由:史料等参加費300円を申し受けます。
            資料準備のため(  090‐9494‐3190・眞藤) まで事前にご連絡ください。
            尚、当日はコロナ対策の為マスク着用ならびにご記名をお願い申し上げます。
            また入場は9:50からと致します。

 

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■有吉家文書解説‐「年中行事抜粋」(三十九)御放鷹等御供之式

2021-09-11 06:35:52 | 有吉家文書

   〇御放鷹等御供之式

一御用人より訪問又ハ口之間ニ而申達候得ハ御受申上別段中柱御間江罷出御礼申上候ニハ不及候事
    但宅江申来候節ハ返書ニ御請申向格別不及出仕候事
 御用人より訪問又は口の間にて申達しあれば、御受け申上げ、別段中柱の御間へ罷り出御礼申上るには及ばない事
    但、宅へ申し来る節は返書に御請け申し向格別出仕にはおよばぬ事
一御供之御小姓頭御用人御歩頭江諸事之儀前日又ハ即朝ニも相頼候事
    但御歩頭江者供之駆引且不都合ニ無之様ニとの儀も頼置候事
 御供の御小姓頭・御用人・御歩頭へ諸事のこと前日又は即朝にも頼む事
    但御歩頭へは供の駆引き、且不都合にならない様にとのことも頼置く事
一御鷹等被仰付候御模様ニも有之節ハ鷹かけ其外諸手都合之儀御鷹懸之御取次江相頼候事
    但鷹所持之面々者御用人御取次江懸合居へ越候儀茂有之候事
 御鷹等仰付られたる御模様にも有る節は、鷹かけ其外諸手都合の儀、御鷹懸の御取次へ頼む事
    但鷹所持之面々は、御用人御取次へ懸合居(す)へ越すことも有る事
一御刻限より一時前程罷出候事
    但被仰付候御程次第御次口より御用人間江罷出候儀も有之候御出向江直ニ罷り越候儀も有之候間前以御用人江懸
    合可申事
 御刻限より一時前程に罷り出る事
    但、仰付られたる御程次第、御次口より御用人間へ罷り出ることも有り、御出向へ直に罷り越すことも有るので、前以って御用人へ懸合い申
    すべき事

一御出向江御待受申上候節ハ供中ハ御目通ニて無之所江除置尤刀持并草履取者御目通遠差置不苦候勿論横身ニ敬之刀ハ伏
 サセ候事
 御出向へ御待ち受け申上候節は、供中は御目通にては無い所へ除き置く、刀持ち并草履取は御目通り遠く差置き苦しからずこと、勿論横身に敬の刀
 は伏させる

一御出前御次江罷出候節ハ御用人間へ罷出居御供廻り之節御用人一同御次より下御庭江廻候儀も有之候事
    但御鑓之間より候節ハ供之控所又ハ路物ハ御次小姓江申聞候得者致世話候事
 御出前御次へ罷り出る節は、御用人間へ罷り出居り、御供廻りの節御用人一同御次より下り御庭へ廻ることも有る事
    但御鑓の間よりの節は、供の控所又は路物は御次小姓へ申聞けば世話いたす事
一御庭江廻り候而ハ陽春御間御椽先キ御用人之脇江控居候 多ハ御椽先御鷹部屋之前也事
 御庭へ廻りては陽春の御間の御椽先き御用人の脇へ控え居り、多(他?)は御椽先御鷹部屋の前なる事
一夫より御途中御側ニ被召連候節ハ御十文字之内ニハ家来一両人草履取者差置候其外ハ惣供之方江下り候尤此来之儀ハ御
 歩頭江懸合置候事
    但総供之立場ハ小姓頭心得居候間略之事
 夫より御途中御側nに召連れられる節は御十文字の内には家来一両人・草履取は差し置き、其外は惣供の方へ下ること、尤此来のことは御歩頭へ懸
  合い置く事

    但総供の立場は小姓頭が心得て居るのでこれを略す
一供之儀者御歩頭御案内役等并歩御使番江小姓頭出会次第諸事心を添ラレ候様相頼候事
 供のことは御歩頭御案内役等并て歩御使番へ小姓頭出会い次第諸事心を添られる様頼む事
一御庭江罷出夫より御跡江下り候節ハ御庭内ハ御側ニ附参御門外より下候而総御供巻を離御跡より罷越候又ハ御十文字ニ
 附候様被仰付候節ハ見計側役等召連其外之供之者ハ小姓頭引廻し是又惣御供巻より離レ見合罷越候事
    但右御供之儀臨時ニ被仰付候節ハ供呼寄候儀モ急ニ出来兼候付供之者兼而其心得之儀可申聞置事
 御庭へ罷り出、夫より御跡へ下るせつは御庭内は御側に附参り、御門外より下ること、総御供巻を離れ御跡より罷り越すこと、又は御十文字に
 附く様仰付られる節は見計らい、側役等召し連れ其外の供の者は小姓頭引廻し是又惣御供巻より離れ見合い罷り越す事
    但右御供のことは、臨時に仰付けられる節は供を呼び寄せることも急に出来兼かねるに付、供の者兼ねて其心得のこと申し聞かせ置く事
一御鷹等被仰付御昼前後之内ニも暫御側を離少シ御通抜ニ相成候得者見計側役等を呼寄候此時ハ御小姓役一人御鷹匠一人
 ハ被差添候之事
 御鷹等仰せ付られ、御昼前後の内にも暫く御側を離れ少し御通抜に成れば見計らい、側役等を呼び寄せ、此時は御小姓役一人・御鷹匠一人は差し添
 えられる事

一御側ニて臨時御鷹等被仰付候節ハ家来ハ離召連尤其時之見計茂可有之候事
 御側にて臨時御鷹等仰せ付けられる節は、家来は離れ召し連れる、尤其時の見計らいも有るべき事
一水前寺御茶屋江被為入候節ハ御前ニ而頂戴物被仰付候儀茂有之其節ハ御前を下り直に御用人江御禮申上候事
    但其外御昼休ニても被召上候御残等頂戴之節ハ是以右同之事
 水前寺御の御茶屋へお入りなされる節は、御前にて頂戴物仰せ付られることも有り、其節は御前を下り直に御用人へ御禮申上げる事
    但其外御昼休にても召上りたる御残り等頂戴の節は是を以て右同の事
一御帰殿之節ハ御供被仰付候へ者直ニ御用人間江罷出御礼申上致帰宅候又御側を離候節ハ御帰殿後御次より罷出右同断之
 事
 御帰殿の節は御供仰せ付けられれば直に御用人間へ罷り出て御礼申上げ帰宅致すこと、又御側を離れる節は御帰殿の後御次より罷り出、右同断の事
一御側を離候而者獲有之候得ハ御昼之節御用人御取次之内を以差上御昼後之時分者御帰殿之上右同断之事
    但獲拝領被仰付候ヘハ御用人より其段申聞候間直ニ御礼申上候帰宅之上ニて候得者御用人より紙面を以差越候付
    返書ニ御禮申上出仕ニ不及翌日伺御機嫌候節猶御礼申上候事
  被差添候御小姓役江者時宜ニ応し翌日為会尺家来差越候事
 御側を離れては、獲物が有れば、御昼の節御用人御取次の内を以って差し上げ、御昼後の時分は御帰殿の上右同断の事
    但獲物拝領仰付られれば御用人より其段申し聞かされ、直に御礼申上げ帰宅の上であれば御用人より紙面を以って差し越すことに付き、返書
    に御禮申上げ出仕なは及ばず、翌日御機嫌うかがいの節、猶御礼申上げる事

  差添られられた御小姓役へは、時宜ニ応し翌日会釈をなし家来差越しの事
一供中股引半切ニて候而ハ上之御供ニ紛レ候由御小姓頭より内意之趣茂有之候處八代家来ハ先年様子茂有之白之三尺手拭
 相用候付両家其外茂弥以右同様ニ申談以来白之三尺手拭又ハ端折にも可致と申談候事
    但本行之趣文化十一年十二月八日嘉津次より佐田造酒助江申達置候事
 右者極りと申ニてハ近々同席中御供之節之儀致勘考記置候事ニ而猶其節之模様ニ可応事
 供中は股引半切であれば上の御供に紛れる由御小姓頭より内意の趣も有る處、八代家来は先年様子も有り白の三尺手拭を用いるに付、両家其外も弥
 を以って、右同様に申し談じ、以来白の三尺手拭又は端折にも致すべきと申し談じの事

    但本行の趣は、文化十一年十二月八日(嶋田)嘉津次より佐田造酒助へ申し達し置きの事
  右は極りと申すにては近々同席中御供の節のことを勘考いたし記し置く事にて、猶其節の模様に応ずべき事
一御小姓頭御用人江者以前弁当等振舞候得共文化九年申談差止其段者両御役江茂相断置候事
    但世話いたし候歩御使番江も右同断
 御小姓頭・御用人へは前以て、弁当等振舞われれば文化九年申し談じ差し止め、其段は両御役へも断り置く事
    但世話いたしたる歩御使番へも右同断
一御方向違ニ被差添候御小姓役御鷹匠江者至而手軽く弁当振廻元気付ハ臨時見計之事 
 御方向違に差し添えらる御小姓役・御鷹匠へは至って手軽く弁当を振廻い元気付は臨時に見計いの事 

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