明治22年に制作されたという三枚摺りの浮世絵「細川家大火忠死誉」がヤフオクに登場している。
三枚が状態よく一緒に出品されるのは珍しいのではないか。
この主題は「細川の血達磨」とか「肥後の血達磨」とかよばれ、歌舞伎や講談で知られている。
歌舞伎役者絵として「蔦模様血染御書」があるが、初代左団次の役者絵である。
この話はいくつかの事件をつなぎ合わせて、面白おかしく作り上げられた創作ものであろう。
つまり主人公大川友右衛門と印南数馬の衆道の関係と、それらを御咎めを受けることがないことに恩義に感じた友右衛門が、細川邸の火事の際に床の間にある大事な達磨の御軸を守ろうと、自らの腹をきり是に収めて守り切ったという話である。
現在ではこのように芸術文化の世界でその一角に確実な地歩を占めている。
過去にも何度かこのことに触れている。
覚え-岡倉天心「茶の本」より 「肥後の血達磨」異説
ここにこの話の出典とする二冊の本をご紹介しておくが、この記事を書くにあたり岡倉天心の「茶の本」を読み返しているが該当記事が出てこない。まさか嘘は書いてはいまいから、よくよく過去の記事を読んでみたら訳者が異なる浅野晃訳の「茶の本」であった。天心の「茶の本」は新渡戸稲造の「武士道」とともに、日本の文化や道徳といったものを西欧に紹介した高邁な思想史だと私は思っているが、あまりにも下世話な細川家の「血達磨」の話が登場しているとはいまだに信じられないが、目を通したのであろうその訳本は現在私の本棚には見当たらない。
ともあれ自分の書いたものを信じておきたい。
ちなみに山田美妙の「新体詩」に「大川友右衛門」があることをご紹介しておきたい。(第九)をクリックされたし。