津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

有吉家文書解説‐「年中行事抜粋」(三十三)會議之式

2021-09-03 15:00:31 | 先祖附

   〇會議之式

   御在国          御在府
    六日           八日
    十七日    
    廿六日    
    付札 會議寄合之定日書附ハ席中限巡覧 尤右定日之書附大御目附・大御奉行・御用人ニハ一通宛相渡
    付札 会議寄合の定日、書附ハ席中に限り巡覧 尤右定日の書附は大御目附・大御奉行・御用人には一通宛渡す
一、例刻直ニ政府江出席尤御用番一人ハ御殿江罷出供を待置例之通奉伺御機嫌其節御用人を以御用有無を奉伺詰間江控居
  候得者御用不披為在段御用人より申達候 左候得ハ政府江致出席候
  例刻直に政府(奉行所)へ出席、尤御用番(月版家老)一人は御殿(花畑邸)へ罷り出、供を待置せ例の通り御機嫌伺い奉り、其節御用人を以
   て御用の
有無を伺い詰間へ控居れば、御用あらせられず段御用人より申達し、そうであれば政府へ出席いたすこと
一、御留守年ハ御用番直ニ政府江出仕勿論ニ候且又會議相済候上退出ハ例刻ニて候事
  御留守(参勤在府)の年は、御用番直に政府へ出仕すること勿論で、且又会議が済んだ上退出は例刻である事

一、但同席中以前ハ一旦皆御殿江罷出候処近年奉伺本行之通極候尤毎御着座後初而会議之節前日ニ当年ハ本行之通相心得
  可申段御用人
を以申上候事
  右之通ニ候処御時分次第ニハ御用有無急ニ伺出来兼候儀茂有之候間以来者前以御様子窺ニ相成候居御用番伺御機嫌ニ
  罷出候説御用有
無を御用人より直ニ申達ニ相成候方可然と申談郡九郎太郎江申達置候之処文化十三年六月十七日より
  其達
相成候事
  但同席(家老)中、以前は一旦皆御殿へ罷り出ていたが、近年伺い奉る本行の通り極られ、尤毎御着座後初めて会議の節は前日に当年は本行の
  通りに心得可く申しあわせ御用人を以申上げる事

  右の通であるが、御時分次第には御用の有無急に伺うこと出来兼ることもあれば、以来は前以って御様子窺に成るようになり、御用番御機嫌うか
  がい罷出たる節、御用の有無を御用人より直に申達にること、然るべきと談じ、郡九郎太郎へ申達し置かれるところ、文化十三年六月十七日より
  其の達しに成る事

一、会議相始り候前ニハ御中老・大御奉行之座を繰上大御目附も同席近十四ノ人之坐と方也 繰上り冬ハ入口二枚襖建居候
  を迦サセ
御間宜き段坊主を以当番之御奉行江申入候得者各口之間江相揃候事
    但會議之席ニハ御奉行中御用人一人御目附二人佐貮役二人差支之節ハ機密間根取出席之事
  会議が始る前には、御中老・大御奉行の座を繰上げ、大御目附も同席、近十四人の坐と方なり 繰上り、冬は入口二枚襖建居るを迦させ、御間宜
  き段を坊主を以当番の御奉行へ申し入れれば各口之間へ揃う事

    但會議之席ニハ御奉行中御用人一人御目附二人佐貮役二人差支之節ハ機密間根取出席之事
一、會議中皆帯劒ニて佐弐役より書付読始候得者御奉行始皆手を上候尤伺前之御奉行ハ始末手を突居候且又佐弐役は両人
  共脱劒ニて始末手を
突居候事
  会議中は皆帯劒にて、佐弐役より書付を読始れば御奉行始め皆手を上げ、尤伺前の御奉行は始めと末に手を突居り、且又佐弐役は両人共脱劒
  て始めと末には手を突居る事

一、願書申立之書付先祖帳等佐弐役より読上会議の趣ハ伺前之御奉行より大御奉行江相伺御奉行と論究之上大御奉行より
  御用番江相窺夫より
席中及相談存寄無之候ハヽ伺前之御奉行江可為会議之通旨御用番より致差図左候得者伺前御奉行
  決議之趣一稜々々別帳ニ執筆目六ニ点を懸相成候佐弐役執筆之分ハ佐弐役より是又別帳ニ相認候事
    但右之通ニて候処下調帳有之事ニ付決議之趣即席ニ執筆ニ相成候而ハ二重之手数ニ相成候間近年ハ其儀相止下調
    帳ニ而相済せ會議相替候
分書入等有之候事
  願書申立の書付は先祖帳等佐弐役より読み上げ、会議の趣は伺い前の御奉行より大御奉行へ伺い、御奉行と論究の上大御奉行より御用番(月番
  家老)へ窺い、夫より席中相談に及び存寄無ければ伺前の御奉行へ会議をなすべきの通りを御用番より差図いたし、そうすれば左伺前御奉行
決議
  の趣一稜々々別帳に執筆、目録に点を懸け相成り、佐弐役執筆の分は佐弐役より是又別帳に相認めの事

    但右の通にて下調帳有る事に付、決議の趣即席に執筆に成れば二重の手数に成るので、近年は其ことは止め下調帳にて済せ、会議相替る分を
    書入等有る事

一、同席中も会議之内は茶煙草等は遠慮致候事
  同席(家老)中も会議の内は、茶・煙草等は遠慮致す事
一、會議之趣しらへ出来次第ニ下書之帳惣而佐弐役之執筆復議定日迄ニ御奉行より御用番江差出候得者入念遂巡覧存寄有
  之候ハヽ致加筆御奉行江
返し候夫より會議帳聖書ニ相成候事
  議の趣しらへ出来次第に、下書の帳惣じて佐弐役の執筆復議定日迄に御奉行より御用番へ差出されるので入念巡覧し、存寄り有れば加筆いた
  し、御奉行へ返し夫より会議帳清書に成る事

一、内會議と申候而會議前御在國ハ五日・十五日・廿五日御在府ハ四日御奉行中分職外共佐弐役政府同席詰間ニおゐて諸
  書付取調
しらへ候尤同席ハ不致出席御目附茂出席無之候処文化十年一二月より出席被仰付候事
  内会議と申して、会議前御在國ハ五日・十五日・廿五日、御在府は四日、御奉行中分職外共佐弐役政府同席詰間において諸書付を取しらへる、
  尤同席(家老)は出席いたさず、御目附も出席無き処、文化十年一二月より出席するよう仰付らる事

一、會議御着座相止之儀ハ四月之末五月初江戸御発駕六月上旬被遊御着座候節ハ三月八日限ニ相止御着座前五月中旬以後
  臨時有之
候之事
  会議御着座相止のことは、四月の末五月初江戸御発駕、六月上旬御着座あそばされる節は、三月八日限に相止め、御着座前五月中旬以後に臨時
  にこれある事

一、御在國年ハ六月初被遊御着座候得ハ同月十七日より相始候事
  御在國年は六月初めに御着座あれば、同月十七日より始める事
一、御在府ハ十二月八日ニ終翌年正月ハ十五日後十七日・十八日之内ニ相始候尤夫より延候儀も追々有之候事
  御在府は十二月八日に終り、翌年正月ハ十五日後十七日・十八日の内に始め、尤夫より延ぶことも追々ある事

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■「丹後三家物語」16(了)・細川越中守國替之事

2021-09-03 06:32:49 | 史料

 中古より細川家を見れば、寳筐院殿早世おはしまし、鹿苑院殿幼く征夷将軍に備給ふ。此時前武蔵守頼之
朝臣後見し奉らる。それより細川家代々三管領四職の間を出ざりしが、天文廿一年の春三好筑前守長慶
川に代りて天下の權を執、細川晴元を搦て芥川に押込てより、細川家衰微して永禄元龜の頃はひは、細川兵
部大輔藤孝微々たる體にて山州長岡に住居たり、其頃京都七人衆 稲屋妻豊後守、下津權内、岩成介、萩田龜之助、細川兵部大輔、泉某、鴨目某 といひ
し其一人なり。嫡子與市郎忠興明智日向守が聟となりてより明智贔屓を以せん/\に立身ありて、天正九年
に丹後へ來り翌年中に丹後一州悉手に入て廿餘年の間丹後の國主にて慶長五年關ヶ原の一亂に莫大の軍功
有しかば、國替を被仰付豊前并豊後の杵築を被下て其歳の冬豊前の小倉へ入部とて宮津の城を出給ふ。家
の再興宮津より起りて馴入の國なれば殘多や覺しけん犬の堂を過るとて、天の橋立を詠て
    立 わ か れ 松 に な こ り は お し け れ と
           お も ひ き れ と の 天 の 橋 立

 

          「丹後三家物語」の内、細川家に関する項目については、是を以て了とする

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