津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■熊本史談会・8月講演会御案内

2023-08-10 08:58:12 | 熊本史談会
 熊本史談会・8月講演会を下記要領にて開催いたします。
菊池の記憶の記録伝承人・坂本ご夫妻の菊池愛にあふれたお話をお伺いします。
多くの皆様のご参会をお待ちいたします。

                       記
 
        期日:令和5年8月19日(土)午前9時30分~11時45分(質問時間を含む)
        場所:熊本市電交通局電停前・ウェルパルくまもと(熊本保健所入居ビル)1階「アイポート」
        演題:「菊池隈府の歴史年表」と「菊池の西南の役ー西郷坂の戦い」
              第一回 「菊池隈府の歴史年表」
        (尚、第二回講演「菊池の西南の役ー西郷坂の戦い」は令和6年1月20日を同会場で予定して居ります)
        講師:菊池の記憶の記録伝承人 坂本 博氏 ・同 栄子氏           
 
        一般参加自由
           会場が変更になりましたのでご注意くださいませ。
           先着20名様、事前にご電話申し込みをお願いします。電話(  090‐9494‐3190 眞藤)
           参加費 500円(資料代を含む)を申し受けます。

           又、マスクの着用は随意と致しますが、ご記名をお願いいたします。

        

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■難儀な護久時代の幕開け

2023-08-10 06:20:23 | 歴史

 幕末期、熊本藩主細川韶邦は、将軍家慶から拝領した御名「慶」から長く「慶順」を名乗って来たのを、「韶邦」と変えたのは、慶応4年(1864)4月23日であり、新政府側に与する意思を示すためであった。
しかし、明治3年5月8日には隠居を余儀なくされた。これは実学党の人物らによる京都に対しての働き掛けによる、一種のクーデターともいえる。
跡を受けた護久とその弟・護美らも承知の上だと考えるのが妥当だと思われるが、残念ながらこれに関しての知見はない。
護久は明治四年の正月鳥羽伏見の戦いをつぶさに実見しており、洋式兵法の確かさを実感し帰国後護美とともに熊本藩内の洋式化を目指すがこれは屯と前進するものではなかった。
これは攘夷論が沸騰する中での、洋式化は倭式の各種武術師範家の抵抗や、旧守派の大形の反対を受けている。
それでも練兵場が設けられ訓練が義務付けられたが、参加者は芳しくなく、後には主に軽輩の士卒が多数を占めることになった。
当時の軍政御用掛で兵法師範役の上田休兵衛は「六備の内の一備」だけを特に訓練させてはどうかと、折衷案を出している。
まだまだ、肥後の維新は遠く感じられる。

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