【模写】【伝来】ek8136〈西郷隆盛〉書簡巻物 池辺吉十郎・久田休兵衛宛て 極箱 3枚貼交 薩摩藩士 明治維新の指導者 明治時代 武士 士族
こういう西郷隆盛の書簡(写し)がヤフオクに出品されていることを、19日の史談会例会でN君が教えてくれた。
池邊吉十郎と連名の方は「久田久兵衛と書いてあるけど読み間違いでしょうね」との事だったが、まさしく高祖父・上田久兵衛に間違いない。
巻物仕立てで右に、(1)「十二月十二日付け、池辺吉十郎・上田久兵衛宛」、左手に(2)「二月四日付け、池辺吉十郎宛」及び、後者が入っていたものと思われる「池邉吉十郎殿親展・松橋陣所ゟ西郷吉之助」とある封筒の三点が収められている。
以前■「西郷隆盛と上田久兵衛の邂逅はなかったのか」という疑問を書いたところだが、思いがけない書簡の登場となった。
(1)の書簡
拝啓以使者得其意候 兼テ
御協議之一条本月末ニ當地出
發之處二決定致候間此旨趣迅
速及御照會候 就テ者貴地神
風隊之義者勿論御覚悟可
有之事ニ思慮致居候 最
隊中江者貴君方ヨリ必至急
御沙汰被下度相願候 且一昨
日諸方探索之為メ伊集院
堀田村田等差出置候間貴地
着之上者宜敷相願候 將又御縣
内ニ着致候得者猶亦使者差出可
申候 途中宿所者(水俣)(佐敷)
(日奈久)(小川)(松橋)彼ノ松橋者暫
時之所本陳ニ致度存念依テ其他
御賢慮ニテ百般之都合宜敷余
者譲拝眉右要用迄 草々頓首
十二月十二日 西郷吉之助 印
池邉吉十郎殿
上田休兵衛殿
神風隊(神風連)に触れられている処を見ると、明治九年の十二月の書簡だろうか。
内容が本物だとすると、西南の役勃発が翌年(明治十年)の1月29日のことだから、そのことを予感させるような文章であるが、浅学の身では何とも納得のいかない書簡の内容である。
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(2)の書簡
以使者迅速及御照會ニ候
偖城中者谷干城如何
被計略ニ候哉 城中放
火致し迦之市中共焼失
有之■ニ城中者厳重
之謀計有之毫茂由断
無之哉と思慮致候 貴君
方者如何御賢慮ニ候哉
■■之都合折返し御
報知頼入候 且田原坂木
戸米坂口者方々者伊集院
堀ノ内知識列出陳且又山
鹿高瀬口者自然官軍
襲来候哉も難計依テ
彼方々者篠原村田副田等
繰出可申様決定致候間此
旨趣等も速ニ御通知ニ及候猶
萬事一時も至急御報
相頼候右要用迄 早々
頓首
二月四(日) 西郷吉之助
池邉吉十郎殿
かって、■池邉吉十郎宛西郷隆盛書簡ー2を御紹介したが、これは三月九日付けであった。
この書簡の内容からすると、日付の二月四日は三月四日の間違いであろう。よくよく眺めても二月と記されている。
二月四日であれば西郷軍はまだ薩摩を出発していないし、当然熊本城も焼失はしていない。
(1)(2)共、何とも理解し難く勇先生にお送りしようと思っている。
以前■池邉吉十郎宛西郷隆盛書簡ー1でご紹介した何時のものか判らない池邉宛の西郷の書簡も存在する。