50年とか100年刻みでその年に起こった主な事件を覚えるというのも、歴史を親しむうえで大いに役立つように思える。
そんな中で、1900年と言うきりの善い年の今日という日は、日本をはじめとする八ヶ国連合軍が北京に入城して、義和団の乱が終結した記念すべき日である。
祖母の叔父に当たる狩野直喜は北京留学中に事件に巻き込まれて、柴五郎中佐らと行動を共にして籠城している。
二列目中央の軍服姿の人物が柴五郎、右から二番目が同時に留学した二人のうちの一人服部宇之吉、その左隣が狩野直喜である。
狩野直喜には「服部先生の思出」という小文が残されている。
柴五郎は会津出身、石光真人編著の「ある明治人の記録・会津人柴五郎の遺書」に詳しいが、会津城落城にあたっては祖母・母・姉妹が自刃するという辛い過去を背負いながら軍人の道に進んだ。
この事件に於ける柴中佐の沈着果断の判断は、大変称賛されて会津出身者として陸軍大将迄上り詰めた人である。
会津陥落後の斗南に於ける会津人の苦労も、庄内藩に対した西郷の温情とはかけ離れた過酷なものであり、今もって心からなるわだかまりは解けないと聞く。
上記の著を手に取ら一読されることをお勧めする。