津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■北嶋雪山のお墓

2023-08-13 06:01:14 | 熊本

 熊本史談会の会員のN君から、北嶋雪山のお墓を尋ねたという事で、写真が送られてきた。
北嶋雪山とは、藩主細川綱利に命ぜられて『肥後国郡一統志』編纂にあたった。しかし彼が陽明学徒である故をもって、細川家を放逐されることになる。
寛文九年(1669)、いわゆる徳川幕府の「異学禁制」によって同時に19名が処分された。
その中には、綱利の側近であった2,822石余の御小姓頭・朝山次郎左衛門等が含まれている。
その後、肥後藩の陽明学は幕末に至るまで雌伏の時代を迎える。

                                                             ウイキペディアより引用

    雪山はその後熊本を離国、江戸へ赴いている。しかしある時忽然と姿を消した。そして長崎にあらわれ酒代の替りに書を揮毫し帳簿付けなどをするうちにその書をもって名を成すことになる。
奇人として知られ多くの逸話を遺している。
熊本を離れて28年後の元禄十年(1697)閏二月に長崎に没した。享年62。長崎大音寺に葬られた。

 N君の情報によると泗水町(現在の菊池市泗水大字吉冨)にこのお墓があるという。迂闊ながら詳細を知らなかった。
ググってみるといろいろな紹介もされていて、私の勉強不足が露呈してしまった。
この場所は、雪山が幼少の頃父宗宅とこの地に居住した場所であり「護村山吉祥寺薬王殿と称する小堂」に、村人が長崎に出かけ「雪山の分骨」を得てこの地に墓碑が建てられたものらしい。
現在の住居表示によると「泗水町大字吉富692番地」とある。

                                                     トリミング加工を加えさせていただきました。

             

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする