津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■竹崎律次郎のある足跡

2023-08-29 06:01:50 | 人物

 「水前寺古文書の会」というWEBサイトがある。
このサイトの主催者平川様は、かってご自分のサイトを運営され、鶴崎・劔神社の「御入国御行列之図」の絵巻物をを画面をスクロールしてみることが出来るようにして公開されていた。
その後このサイトは閉鎖されたが、或る席でお会いした時再度公開して頂けないかと懇願したことがある。
そんな平川氏は2016年1月から、「水前寺古文書の会」の活動をサイトを通じて紹介されている。
カテゴリーに「町在竹崎律次郎」が4点紹介されている。
これ等の史料は自ら発掘されたと思われる貴重な史料である。これらの事柄は、徳富健次郎(蘆花)の「竹崎順子」では触れられていない。
その一つに竹崎律次郎長州藩探索を命じられる 慶応元年のことがあり、この事が律次郎に大きな転機を与えたのではなかろうかと感じられる。
       9月2日追記:蓑田勝彦編著「熊本藩の社会と文化」に「八代古文書の会会報№41」として「資料紹介・竹崎茶堂の長州藩探索」が
        p200~207に亘り紹介されている。

律次郎はこの長州探索を終えて帰国した後あたりから、農作業は養子の熊太に任せっきりとなり、その熊太に「ぞびき出せ」と怒鳴られたりしながら国事に没頭していく。
順子の妹(つせ子)婿であり、又師と仰ぐ横井小楠の薫陶が突然芽を吹いた。
徳富一敬(蘇峰・蘆花の父)と共に苦労して作り上げた献策の書は、「熊本の維新は、明治三年に来ました」あと、熊本の実学派政権の指針となった。

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