津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■三體千字文

2023-08-15 16:38:05 | 徒然

 引越し後習字の用紙が一束顔を出した。これは習字以外には使いようがないから、最近三體千字文をお手本に一日一頁、
真形草三體・六文字、計18文字を書いている。
これがなかなか厄介で、中々筆が走らず結局18文字は25文字・30文字になる有様である。
恥ずかしい話だが、私は筆順がいい加減に覚えている文字が沢山ある。かって、ある講座を5年ほど講師をしたことがあるが、受講の諸君に開講の時に一番に断りを入れたほどである。
奥方や子供たちからも大いに馬鹿にされたが、最近「成」という字の第一画が「ノ」であることを知ったほどである。
横棒を第一画で書いて形を整えてきたが、「ノ」を第一画とするとなんとも形が取れないといった具合である。
また、草書の「成」が何故このように変じたのかがよく判らず、これは筆が進まない事はなはだしい。
古文が何とか読めるようになっても、書くことは先ずできない。書くというトレーニングをすると古文書を読むのにも大いに役立つだろうと考えている。
紙の束が何枚あるのかよく判らないが、成果も見えてこようと言うものである。

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■磯田道史氏曰く「士族制度は誤解のもと」

2023-08-15 15:52:43 | 徒然

                               お盆ボケしておりまして、朝からUPするのを忘れて居りました。

 明治維新後のある時期「卒族」という身分があった。いわゆるかって「足軽」と言われた人々である。
維新政府の中にこの卒族に該当する高官が誕生するに及んで、この「卒族」はなくなり「士族」に包含された。
磯田道史氏は「伊藤博文」「山縣有朋」等がそうで、その他この措置によりこの制度が「誤解のもと」だと氏の著書「日本史の探偵手帳」で書いている。
かっては、「侍」「徒士」「足軽以下」とある程度の身分訳が為されていたものが、「士族」という十把一絡げにされてしまって江戸時代の武士の世界が誤解されてしまうと嘆かれるのである。

 熊本藩には「有禄士族基本帳」というまさに卒族が亡くなった後の、旧細川家藩士その他の一覧が存在しており、当方サイトでもその名簿を御紹介している。
実は私はその累計数を知らないのである。
八代古文書を読む会の蓑田勝彦氏編著の「熊本藩の社会と文化」(八代古文書の会会報1~50号合冊)の「熊本藩の武士身分について」よると、(1)士席名籍から「一門・上卿・下卿」24名、「着座」69人、「上士」225人、「平士(中士)」962人、「下士」630人、つまり「侍」24+69+225+962=1280人、「徒士」=「下士」630人とまとめて居られる。
又、(2)独礼以下名籍からいわゆる「足軽以下」を11,910人とし、家臣の総計(1+2)を12,676人としている。
士席名籍独礼以下名籍が明治元年のものだとされるが、これが「有禄士族基本帳」の数と合うのかどうか興味深い。
卒族については、代々の者は繰り入れられたが、一代奉公の足軽などは平民になっているし、また、「無禄士族」などはその名称から「有禄士族基本帳」には当然入っていないと思われ実情の把握は難儀である。

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