津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■幽齋公の御命日

2023-08-20 08:18:20 | 歴史

 今日は、幽齋公(藤孝)のご命日である。没年は慶長十五年(1610)八月廿日である。
細川家記は「京都天授庵及び小倉に葬る。肥後入国の後分骨を立田山に移し、寛永十四年七月十一日寺を建立して泰勝寺と号す」と記す。
13年前、その泰勝寺跡で細川家主催の「幽齋公400年祭」が催されるに当たり、細川家から「300年祭」が催された際の出席者名簿が送られてきた。
幽齋公に関係ある「勝龍寺以来」「田辺城籠城衆」のご子孫の方々だが、その後3世代程あとのご子孫を調べ出すには大いに苦労奔走した事を思い出す。

11月7日、25家のご子孫が集合されて、「幽齋公400年祭」は滞りなく開催された。
前日、ご準備で忙しくされている中、佳代子夫人にお目にかかり、ご報告を申し上げた。
のちに集合写真を拝見して、その当時の苦労がいっぺんに吹き飛んだことを思い出す。今年で幽齋公没後413年になる。

        集合写真2

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■江戸時代の貨幣表示「分」

2023-08-20 06:15:37 | 歴史

 「分」という貨幣表示がある。金であれば「分」は「ぶ」とよみ4分をもって一両とする。
「銀目」に於いても「分」があるが、これは銀1匁の1/10を1分、こちらは「ぶん」と読む。
金1両=銀60匁(600分)=銭4000文だから、銀1分は銭では6.7文ほどとなる。

 さて東京に三分坂という急坂がある。かっては「さんぶ坂」と呼んでいたらしい。
昭和45年発刊の「江戸の坂東京の坂」という本によると、当時はまだそう呼んでいたのだろう。
著者・横関英一氏によると、余りにも急阪であるため荷車を押す人夫賃を「三分(さんぶ)」余計に払わなければならない処からこの名がついたという。
そうだとすると、金の「さんぶ=金三分」ではべらぼうに高く、銀の「さんぶん=銀三分」が正当なところだから「さんぶん坂」と呼ぶべきだと主張される。
落語「時蕎麦」のニ八そばが16文だというから、3分=20文は妥当なところだろう。
下の写真を見ると「SANPUN ZAKA」と表示されている。過ちて改むるに憚ることなかれである。
           三分坂 | 東京とりっぷ

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