津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■コロナ性(?)肩痛

2023-10-06 15:25:27 | 徒然

 コロナワクチン接種後から肩痛が始まり、特別治療もしないから完治には至らない。
同じような症状を持たれる方は多いようだが、波が有り痛みが軽くなる事もあり様子を見ているが、ここ一両日何とも云われぬ痛さで不快なることこの上ない。
読書するのに、本を持って椅子のひじ掛けに乗せているが、これが数分も持たない。
今日は肘下の筋肉に痛みが生じ、左手にはしびれがあって三角巾で吊ろうかと思うくらいである。
風呂に入って、熱いシャワーを肩に掛けたりすると、少し楽になるような気がする。
血の巡りに関係しているのかもしれない。肩を温めるショルダーサポーターを探したりしているが、適当なものが見当たらず、温湿布でも買おうかと思っている。
奥方に声を掛けたら、「今日は買い物ナシ」と無碍なく断られた。


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■大発見と大困惑

2023-10-06 06:39:54 | 花押

 先日に続いての入江家についてである。
当サイトの「新・肥後細川藩侍帳」に於ける入江太門太家と傳十郎家の初代並びにそれ以前の事柄については、「系図」の登場により当方の勘違いであったことが確定した。
これについては又別途ご報告をしたいと思っているが、系図を詳細に眺めている中で思いがけない発見が有り、また大いに困惑をしている
                                                               
                      左から三行目に「妻 細川越中守忠利女」とある。

 太門太家の初代は、「新・肥後細川藩侍帳」では三之允としているが、「系図」によると「正勝 三之允」とし「母乃美兵部少輔女」とあり、田邊城に籠城した入江景秀(晋門)の嫡男である。
その「正勝」の欄に「妻 細川越中守忠利女」とあった。
この系図はコピーを数回経ているから文字がつぶれて完読できないが、これは間違いないと思う。
入江家の菩提寺・妙立寺に入江家の関係者が収められたものだというが、原本の所在は現況判らない。
それは兎も角、妻が「 細川越中守忠利女」とはどういうことか?
忠利には女子としては、松平下総守忠弘室・藤、有吉頼母佐英長室・竹、夭折の女子、長岡図書興章室・興幾の4人が系図上に存在する。嫡子光尚の幼名は、六番目の子だから「六丸」と命名されていることからも六丸の誕生前に系図に現れない五人の子女がいたことが判る。
これは先にご紹介した。  ■元和五年九月十八日、御六(光尚)誕生

 入江家の系図が本当だとすれば、そこに記載ある光尚の一年前に生まれた女子しか該当する人はいない。
実は、妙立寺には何方のものか判らないという細川家関係者と思われる、立派で大きなお位牌が残されている。
コロナ前から、いろいろ調べてきたがお手上げ状態で、諦めかけていたところに一筋の明かりが見えた感じである。

                                
私は、忠利女だとされる入江三之允の奥方のお位牌ではないかと推測してみた。
入江家の過去帳が残されて居れば、お位牌の法号と照合すればこれは簡単に解決しそうな気がしている。

一番不思議なのは、この女性が何故細川家の正式な家系図に登場しないのか、又高槻城主の三代目のご子孫とはいえ大変失礼だが150石程の人物に嫁いだのかという疑問である。
そして私は興奮の中にいる。


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