こういう言葉を聞くと、日本人って何と優雅な人類だろうと思ってしまう。
衣被(きぬかつぎ)とは、平安時代以降女性が外出するときに被る衣のことだが、「皮のまま茹でたり蒸した里芋の子芋」のこともこういう。
真っ白な芋がつるりと剥ける衣を被っていることから、そう呼ぶらしい。
私が幼いころ、祖母からいろんな話をきいたが、そんなとき「ゆでた子芋」が登場して、塩を振ったり、醬油を掛けたりして食べたことを思い出す。
結婚してから、私が「ゆでた子芋」が好きだという事を知って、奥方が思い出したように作ってくれる。
奥方はあの食感を「にとんにとん」と不思議な表現をする。延岡の言葉なんだろうか?
もうニ三十年前、先輩の友人と飲みに出かけ場末の赤ちょうちんに入った。
そこでこの子芋が小さな鉢に鉢盛りで出てきて、二人でつまんでいると、その友人がこの子芋を「衣被」というのだと教えてくれた。博学の人だった。
お湯割りの焼酎を数杯飲んだと思うが、私は先輩がトイレにいった時に、割りばしの袋に「焼酎や 衣被二つ三つ良夜かな」と認めた。
私の手元を覗き込んだ七十はとうに過ぎたと思える女将が、「あら頂戴」といって取り上げられた。
後日談が有り、その先輩が数か月後またその店に寄ったら、柱に糊付けされて残っていたという。
「この下手な句を作ったのは誰だ」と客の間で言う人があると聞いて、先輩は「KS」と書き込んできたと報告を受けた。余計なことをする。
私は二度とこの店を訪れていない。店が閉められてしまった。
そんな店の暗闇の中に、下手な俳句がぽつんと残されているかと思うと、ちょっとゾーッとする。
その後周りの赤ちょうちんの店と共に取り壊されたらしく、新たな飲食街になっているらしい。
そういう事もあって忘れられない駄句の一つである。よくよく考えると「季重なり」という決定的チョンボを犯している。