津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■ゆめ油断ばしし給うな

2023-10-18 11:43:31 | 花押

 朝の散歩に出て、公園内の木立の中を歩いていたら、腕を蚊にくわれてしまった。
蚊の飛行高度は6m程と言われる。今度の引っ越しで、3階そして5階へと住まいの高度を上げたが、3階住まいの頃から家の中で蚊に食われることなく過ごしてきたから、免疫力がなく痒い事きわまりない。
漱石の熊本弁の句を思い出した。漱石先生もどこやらで蚊の襲撃にあわれたのだろう。

       秋の蚊と 夢油断し し給ふな

標準語では「~~」を熊本弁では「~~」とするが、江戸っ子の漱石先生も郷に入れば郷に従えで熊本弁も大いに使われたのであろう。
私は共に元は「~~をば」ではなかったかと勝手に思っているが、標準語では「ば」がとれ、熊本弁では逆に「を」が取れてこうなったのでは?と考えるが如何だろうか。

熊本人のひごろつかう言葉ならば、「油断ば しなすな(しなさんな)」という風に遣うから、漱石先生のこの句にはちょっと違和感を感じてしまう。
漱石先生の丁寧な表現かもしれず、乱暴だと云われる熊本弁のほうがおかしいのだろうか。

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■宜紀夫人

2023-10-18 06:35:32 | 歴史

 細川家六代・宜紀公には正室はないという事になっている。
綱利の二男・吉利が亡くなると、綱利は弟・新田藩主利重の二男利武(宜紀)を養嗣子となした。

その時すでに、二男二女がおり、綱利が隠居して襲封した時には加えて、一男一女をなしていた。
その後、五男十女をなし、合計21人の子を為している。こんな按配だから、正室なる人はいないという事になる。
最近資料を整理する中に、細川家と松井家のご当主と正室の方の戒名を記した史料が顔を出した。
これを何気に見ていたら、映心院殿光雲義明大姉という書き込みが有り「宜紀公之妾」とあり、没年が記されてあった。
「えっ」と思いよくよく調べてみると、7代・宗孝公の生母(鳥居氏女喜和)であることが判った。
宗孝公は10番目のお子で四男だが、上の9人のお子は全て夭折している。

宗孝公夫人は紀州徳川家のご出身である。夫君の生母を先代宜紀公室として取り繕ったのではなかろうか。
ちなみに弟・重賢公は宗孝公とは二つ違いだが異腹であり、こちらの生母は岩瀬氏女利加である。
綱利時代の借金35万両を引き継いで、宜紀公は借金の返済もままならぬ中「怪しからぬお家柄」と三井家からこき落された。
今日にも広く伝えられる細川家の痛恨事である。

子沢山も借金の原因の一つだろう。宗孝公にはお子はなく、重賢公は3人(二男一女)である。
重賢公の宝暦の改革で細川家の財政は持ち直した。

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