津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■偶然の造形

2023-10-28 14:09:50 | 徒然

               

 ベランダに置いている観葉植物にお日様があたり、網戸に口ばしの長い鳥のような見事な陰模様を作り出した。
さしずめ「鵜」と言った感じである。偶然が作り出したものだが、つい携帯のシャッターを押しました。

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■珍しい慶長六年の宛行状

2023-10-28 05:58:37 | オークション

慶長十(六)年 キリシタン大名 細川忠興宛行状一幅 平野宛
      朝鮮の役関ケ原合戦書状消息和本古文書古筆短冊書簡大名戦国武将手紙大分県熊本藩史料

  

          豊 前 國 以 宇 佐 郡 之 内
          千 五 百 石 遣 之 目 録 有 別
          紙 永 可 知 行 者 也 仍 状
          如 件
           慶長六年 日 忠興(花押)                
                平野太郎左衛門殿

 平野太郎左衛門を家祖とするお宅は、太家・太郎四郎家・嘉門家・角蔵家・甚九郎家・宣太郎家の6家が確認されるが、その太郎左衛門(勝行)が1,500石を拝領していたことが判る貴重な史料である。
太家が嫡家であろうと思われるが、2019-08-29 やはりオークションでそのご子孫の宛行状が出品されたことがあった。
又、2019-09-28  2021-05-21 にも同家の宛行状が出品されて、今回に至り太家の相当の史料が平野家から流出した。

細川家の豊前入国は慶長五年の年の暮れも押し詰まっての事である。日付は入ってないが入国直後のものであることが判る。
細川家に於いて世禄制に移行したのは、細川忠利が肥後入国後の寛永10年のことであるから、1,500石の家禄はそれぞれに知行分けされたのであろう。一族6家が細川家に仕えるというケースも珍しい。          

 商品説明として「細川忠興知行宛行状幅 慶長六年十月 日付 平野太郎左衛門宛 忠興花押状 本紙縦32.5糎横49.5糎 楮紙 函なし  紙面薄シミ  豊前国入国直後の宛行状 日付未記載は忠興宛行状の特徴の一つ。その花押は詳細な年次比定が試みられていますが本書発給頃までは変化の乏しい初期花押を使用 こののちは年度による変化が顕著になります。」と詳しい説明がある。

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